発熱その後

原因不明の急な発熱から1週間。40度台の高熱はまる3日間で終わったものの、38度台の頭がボンヤリするような状態は1週間過ぎても変わらない。

 

否、今度は全身の関節や筋肉が痛くてたまらない。インフルエンザなど、高熱が収まった後に関節が痛くなるのはよくあることだし、めちゃくちゃハードな登山などの後2〜3日後に襲われる階段も昇れないほどの痛みは覚えがある。

しかし今回のそれは過去に経験がないほどのヒドさで、歩くことは勿論、布団から起き上がることすら容易でない。決意を固め、掛け声というよりはうなり声を発しながらやっとの思いで立ち上がる。この立ち上がった体勢でしばらく呼吸を整え、いろんなものに掴まりながらそろそろとトイレに向かうのだが、シビンを買ってきてもらおうか、それとも何か代用できるものは無いかと本気で考えた。

 

こんな状態ではまったく仕事が出来ない。この痛みを思えばそのうち治るとタカをくくっている訳にもいかない。加えて指先には膿が溜まって腫れ上がり、幼児に多い<手足口病>の際に手や口の中に出来るミズイボのようなものが、その指の付け根あたりに固まってできている。さらに驚いたのは風呂上がりに鏡を見た時だ。胸の上部と両腕に蕁麻疹のような赤い斑点。両方とも全く痒くも痛くもないのだが、原因が不明なだけに気持ち悪いことこの上ない。

 

アルバイトのHが休みなので、国道沿いにある見慣れた看板の外科の門を叩いた。

症状を伝えると老先生は口ごもる。レントゲン、検尿、ベッドに上がって肝臓の触診など、町医者が可能な検査を終えると、「ウチではこれ以上できない。紹介状を書くから総合病院へ行ってくれ。」とのこと。

 

紹介状を携えて総合病院の外科を受診するが、まずはここでもほぼ同じ検査。

「まあやはり傷口から雑菌が入ったんでしょう。抗生剤と痛み止めを1週間分出しておきますから様子を見て下さい。関節痛もそのうちやわらぐと思いますよ。」

「敗血症ならもっと血圧が低下して肝臓がやられますが、今回はそんな感じじゃないですし、もしかしたら<蜂窩織炎>かもしれません。とりあえず、膿だけは皮を切ってとりましょう」

 

<ホーカシキエン>ってナニ?

異常高熱

金曜日のお昼頃、そいつは突然襲いかかってきた。

猛烈な足のダルさに立っていられなくなり、フラフラしながら外へ出て座り込んでしまった。まぶたにも力が入らず、引き下ろされるように上まぶたが下がってしまう。うあっ!こりゃダメだ。風邪かな? ちょっとでいいから横になろう。

1時間ほどソファーにひっくり返っているうちにどんどん熱は上がり、全身から大量の汗が噴き出してきた。またこのソファーが布製クロスではなく革張りとあって、水気の吸い込みが悪く、触れるだけで気持ち悪いことおびただしい。

 

 とぼけた顔でいつものように帰宅したのだが、異常な風貌だったのだろう。一瞬でカミさんに見破られ、極細のカンチョーのようなやつを脇の下に差し込まれる。

「なにこれえ!39度7分もある」の声を遠くに聴きながら、何とか着替え、いろんなクスリを冷水で腹に流し込むと、布団の中で自覚の無いままキゼツする。

 

夜中の3時過ぎ、我が家の老犬が布団の上にあがり鼻を摺り寄せておしっこを知らせるのがルーティーンになっているが、それまでに何度起き上がっては氷を浮かべた水をガブ飲みしたことか。シーツは何リッターもの汗で、洗濯を終えて乾燥に入れる前のような状態。どこに身体をズラしても乾いた部分が無い。夜が開けるまでの長かったこと!

 

朝になって再び計った体温は40度9分。あれだけ解熱剤を飲んだのに上がってる。しかし症状は体温と汗だけ。全く咳もクシャミもでないし咽も痛くない。頭も・・いやさすがにこれだけの熱だものフラフラはするけど頭痛は無い。なんか、風邪じゃないぞコイツは、? でも、じゃあ何? ふだん関心の無い病気の知識では勝ち目も無い。

そんなことより、羽田から朝イチの飛行機で赤ん坊を見せに来る姪夫婦を迎えに千歳空港まで行かなくちゃ。出かける支度をしていると、当然のことながら行くな行くなの連続射撃。でも自分的には大丈夫。頭は痛くないし咳も無い、困るのは汗と熱だけ、運転できないわけがない。

 

高速道路を走りながら、ハンドルに手を添えた右手の人差し指を見て、何の根拠もなくふと思い浮かんだ。こりゃ破傷風のようなもんじゃないか?そう思ったのは2日まえにトゲが刺さったツメの脇。普段なら無視して忘れるくらいのものが化膿して大きく腫れている。いまどき破傷風はないだろう。でも何かの常在菌が身体に入り込んで、今まさに体内で戦争が展開中か?

 

ふと気付くと自分のスピードが遅い。右側を全部のクルマが追い越していく。カミさんのクルマとはいえ皆の障害になるようなこんな走りは自分じゃない。でもどうしてもスピードを上げる気にならないのだ。結局、千歳までの高速道路を大型トレーラーのケツを舐めるように走りきってしまった。大型トレーラーの巻き上げる雨しぶきで時々視界を失いながら、その度に夢遊状態に入って何度か思った。このまま大きな力でクルマごと天空へ持ち上げられるんじゃないかと。

半世紀以上前の若造の頃から、「オレは◯◯歳で死ぬんだ」と、根拠も無くだれかれ構わず言い続けてきたその歳が、ちょうど今年か来年だからかも知れない。

 

 

 

 

湖畔にて

友人からの誘いで30年ぶりに湖畔のキャンプ場へ出かけてきました。

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巨木の森をうねうねと通り抜けた先の、静かな水辺にひろがるキャンプ場は、当時としてはめずらしく車で入れるうえに細かい制約がなく、半世紀前にはすでに美笛キャンプ場としてキャンパー達から相当な支持を得ていました。

我が家も子供たちがそれぞれ忙しくなるまでは、立ち木の位置まで把握するほど足繁く通ったものでした。

記憶に残る最後の回は、暗くなってから隣に大勢の人達が陣取り、トラックで運んだ足場でステージを組み、大音量でカラオケ大会を始めたものでした。子供達の手前思い切って抗議をしましたが多勢に無勢で相手にされず、管理人に訴えるも注意さえしてくれずに尻込みされ、憤まんを抱えたまま夜中にそこを引き払って暗い山中の沢沿いに止めたキャンパーで寝たことを想い出します。

その後、湖畔を一周する道路の札幌側の一部が通行止めとなり、かなりの遠回りを強いられるようになって、自然と足も遠のいていきました。3年前に空知や日高を襲った豪雨の際には、このキャンプ場も地形が変わるほど激流に傷められ大量の流木に覆われて1年間の休業を余儀なくされたようです。

再開後も人気は衰えず、毎週末のチェックイン時には行列ができるそうです。

しばらく敬遠している間に、古い管理棟が小洒落たログハウスに建て替わり、アンモニア臭で目が痛くなるほどだったボットントイレも清潔な水洗式になりました。

そして何より、一晩だけの印象ですし上から目線ではありますが、利用者がオトナになって清しさや静けさを大事にしているように感じます。

そのうち、孫たちを連れて来るのもいいなと日の出前の湖畔に立って思いました。

半年ぶり。でもまた焚き火!

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以前使っていたブログが1月に終了となり、半年ぶりに再開しようとしたら期せずしてまた焚き火の画像。よっぽど好きかと思われそうですがそういう訳ではありません。いや、ほんとはやっぱりこうした小さなイベントが好きなのかも。

 

半年近くも書き込みをしないでいると、何かをどこかに置き忘れているような、それでいて何をするにも億劫な、そんな日々を過ぎ去らせて来たように思います。インスタグラムやツイッターには縁が無く、Facebookに登録こそしたものの使い方が判らない、否、知ろうとしないと言った方が正確かもしれません。

 

この半年の間、工房の周辺でもいろんな変化がありました。2頭の子連れの熊や若い個体を頻繁に見かけましたし、見落としようがないほどたくさんの痕跡が濃厚にその命の存在を主張しています。今年もアオダイショウの交尾を2度ほど見かけましたし、大事に笹薮の中で育てているギョウジャニンニクを鹿に食べられたりもしました。ほかにも、雪解けが異常に早かったり、フェーンのせいもあって5月に猛暑日があったりと、そこそこ気になる出来事がありましたが、何も記録がなければいずれ忘却が覆い被さってくるでしょう。

ブログを休んでいる間に、心配したり残念がったりして言葉を掛けて下さった皆さんありがとうございました。気負わず力まず、ボチボチとまた日記代わりを記してみます。

冬のキャンプ

冬のキャンプは焚き火がありがたい。というより、焚き火がなければ成り立たない。

なんとなく取材の為のキャンプをすることになった。
正直なところ、冬場の呑み会は建物の中で蒔ストーブを囲みながらというのが定番なのだが、焚き火を熾すとつい寒さを背にして手をかざしてしまう。そればかりか、その火を真ん中にしてイスを引き寄せ、誰とはなく座り込んでビールのプルリングに指先をかける。

撮影を手みじかに済ませ、役目の終わった焚き火だが、揺らめき昇る炎に視線を吸い寄せられる。

こんな時だ。イスの背もたれに寄り掛かりながらうっすら思う。「ああ、薪を作っといて良かった。また来年用も作らねば、、」

ミスマッチ!

ものには相場というものがある。
原材料価格と製造コスト、それと流通・販売の手数料、さらに応分の利益を加えたものが適正価格ということであれば、この子供用のソリは明らかにその枠組みから外れている。

そもそもが製品にするつもりなどほとんど無く、我が孫たちを乗っけてやりたい想いだけで作業を進めてしまったのだ。ただハンドルだけをつけた手押しソリから、4点式シートベルトや風防付きのカウル、それに雪の無いところではカートにもなるキャスターをセットしてなかなか面白いものが出来た。

何台か作って身近な人に使わせているくらいの時点では、いくら手間が掛かっても笑顔をみているだけで良かったが、販売店の店長にこれを販売する話を持ちかけられたときにハタと気がついた。これをまともな工賃や手数料を加えた設定とすると、10万円を大きく超える販売価格になる。
それでも本当に良いもの、ほかに無いものは高価でも欲しい人が必ず居るというが、根がビンボー人の自分的にはたかがソリと思えば罪悪感さえ感じてあり得ない価格だし、もし金があっても絶対に買わない。

「どうせこんなもの店に置いたって買う人なんかいないし、まあ展示スペースが面白くなるだけでもいいか。」とタカを括ってやってみることにした。
常識を度外視して手間賃は赤字でも良しとし、店側にも薄い利益で販売価格を設定してもらった。

以来5シーズンが過ぎ、意外と言ってはオーダー頂いた方に失礼だが、毎年何台か注文をいただく。
小さくてもシーカヤックを作るのと同じような手間が掛かるし、全てカラーオーダーによる受注生産なので即応スタイルはとれないが、手元に届いたときの注文主(これに乗せられる幼児ではなく、ご両親やおじいちゃんおばあちゃん)の笑顔がありがたい。

「ウオッ!スゲ〜!こんなの見たことない!ソリのランボルギーニだ!!」
「◯◯ちゃん、良かったねー。これに乗ってお買い物に行くんだよ〜。」

気持ちのどこかで注文が来ないことを願いつつではあるが、まあ、特別な笑顔がもらえたと思うことにしよう!

ミナミタラバ!再び・・

平成最後の年越しと繰り返されるから余計にそうなのか、いつにも増してこのところ大晦日というゴールを目的化したようなラジオ通販番組がかまびすしい。
毎日否応無しに耳から入るいろんな告知のなかで、聞く度に不愉快になる商材がある。
・・・・・・
このあと30行ほど書き進めてから、ふと気になって昨年の文章を確かめてみた。(2017年12月23日記)

一言一句とは言わないが、まるでおんなじ文章ではないか。まあ、同一人物が書く文だから、似たような内容になるのは当たり前と言えば当たり前。せっかく書いたのに、なんだか徒労感が湧いてきて消去してしまった。

南米パタゴニアの港町、プンタレナスやウシュアイアのメルカードで食べたセントーヤのこと、日本からカラ船で買い付けにくる漁船のことなどを想い出しながら、また来年の年末にも不愉快な思いで聴くことになるのだろうか。
日本のYENと日本人の胃袋が現地のバランスを壊し、それがしっぺ返しにならないことを祈りたい。