割り箸の袋の裏

孫たちがお年玉をもらってひとしきりはしゃぎまわっていたが、別の部屋で遊ぶように促されると、それほど望んでいた訳ではないのに急に静かなオトナの時間に変わった。

おせちを肴に、痛風持ちの哀しさ故、ふだんはなるべく遠ざけている日本酒をチビチビやりながら、こんなときでなければあまり話すことのない、親戚の話や子供の頃の思い出をポツリポツリ。

ゆっくり過ぎてゆく時間と共に、みんなで盛り上がるほどのこともなくなり、黙って手酌しながら昔の同じような場面が想い出されてきた。

 

とくに誰からということは無いのだが、やはり年長者が唄い出すことが多かったように思う。抑え気味の唄声を、座ったままで、遠くを見ながら部屋に放つ。間を置かずに手拍子が入り、合いの手も追っかける。

半世紀も前のこと。若かった自分が唄えるわけではなかったが、宿や山小屋の灯りの下のそんな時間が好きだった。街にいるときにはアフロヘアを膨らませ、コンポラスーツで身を固め、R&Bに魂を震わせて、邦楽なんてクソだと言いながらだ。

 

そのころ耳に入った民謡や歌謡曲を、なぜか今でも想い出すことがある。終わりまで覚えている曲など無く、たいていは1番か2番くらいまでで後は鼻歌にしかならないが、おぼろな記憶を呼び起こそうとすると、脳裏に浮かぶのが箸袋の裏だ。

まだカラオケの無い時代、旅館や宴席はもちろん呑み屋やスナックまで、その土地土地の民謡や歌謡曲の歌詞が割り箸の袋の裏に印刷してあり、誰でも声を合わせることができた。真室川音頭、安来節よさこい節に炭坑節、みんな箸袋の裏で覚えたような気がする。北海道では民謡よりもご当地ソングがほとんどで、函館の女、釧路の夜、好きですサッポロ知床旅情など、見なくても唄える曲が多かった。なかでも印象に残っているのが、網走・紋別地方の旅館や呑み屋でよく手にした箸袋の裏の<オホーツクの海>だ。

当地が出身地ということもあって、義理の父が呑んで機嫌良くなるとこの歌をよく口にした。追憶に浸るような抑えた唄声に手拍子を合せながら、邪魔しない程度に自分も加わりたくて、とっておいた箸袋の裏の歌詞を目で追ったものだ。

 

~  波のうねりも潮鳴りも 消えて沖ゆく舟もなし

   見渡す限り流氷の 身を切るような風が吹く ああオホーツクの冬の海

~ 砂に埋もれて朽ち果てた 遠い昔の忘れ舟

  二人が寄り添う舟べりに ハマナスそっと咲いていた ああオホーツクの春の海

 

ゆっくり風呂に入りながら、もっとあちこちの箸袋を想い出してみよう。

 

 

ホワイト?クリスマス

昨日の工房の最高気温はー4℃、最低がー10℃と、そこそこ冬らしい寒さではありますが、雪が無いんです。気象台の露場こそ芝生がうっすらと白くなっていて積雪1センチだそうですが、街中どこを走っても道路は乾燥した夏道。各地のスキー場は開店休業、いやいやオープンさえできていないところが続出とか。そのかわり、ウンザリするような雪との格闘もまだゴングが鳴りませんし、除雪屋さんたちも出動ゼロと大助かり。

工房周辺こそ気温が低いせいで街の中よりは雪が残っているのですが、窓から見える景色は11月7日にUPした画像とゼンゼン変わっていません。それでも雪のない地方の方達から見れば十分ホワイトクリスマスということになるのでしょうか。札幌でクリスマスイブに雪がないのは1978年以来の41年ぶりだそうです。

なんだかちょっと物足りない気持ちが拭えないのは、北国の生活者なら皆おなじでしょうか。

蜂窩織炎って何なんだ?

もう1ヶ月近くにでもなるだろうか。

神戸で41才の警察官が亡くなったというニュースを耳にした。交番勤務の若い頃、「公園にフェレットがいる!」という通報があり、捕獲した際にそのフェレットに噛まれたのが原因で蜂窩織炎(ホウカシキエン)という感染症にかかり、17年間の入退院の末に帰らぬ人となったという。

 

こんなインパクトのないニュース、普段なら頭の隅に引っ掛かることも無く右から左に消えていくのだが、我が身に起きた耳慣れない<蜂窩織炎>を聞き取ってしまったら気になって仕方ない。

一時期の全く起き上がれないほどの痛みは無くなったし、『酷い状態は収まったから、あとは気長に薬で治すしかない』という医者の言葉に頼るというか信頼していたが、同じ病気の人が長期の闘病の末に死亡とは・・。

 

まあ、ニュースになるくらいだからよほど稀なケースではあるのだろうけれど、今ひとつ嫌な感じを払拭できないのは、もう4ヶ月も経つのに治った感じがしないからだ。 このところ足先の腫れや痛みはないが、膝、肘、肩、腰、首など、毎日どこかの関節や筋肉が痛んでかなわない。1カ所が長く続くことは無いのだが常に何処かしらが動かせないので、情けないやら腹立たしいやら。いったいこの病気は何なんだ。

 

この頃では、一日の仕事量を健康の心配なんかまったく無縁だった若い頃と較べてみることがある。家庭を顧みず、長時間も厭わず、仕事があるだけしゃにむに働いていた40代の頃からみたら、昨今の出来高は半分以下になっている。

身体のどこかに痛みや障害を抱えた状態ではなく、スッキリした体調で気持ちよく仕事をこなしてみたいが、当分は無理そうかな・・。 

やっと? いよいよ?

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先週の暖色メインの明るい景色が、いっきにモノトーンの冬景色に変わってしまいました。

平年よりも10日遅く、午前中からショボついていた雨が昼過ぎに雪に変わり、どこか懐かしさも呼び覚ます見慣れた風景に置き換えられています。

 

この時期、毎年のことながらタイヤ交換のタイミングが頭の中に澱みます。

積雪初日の平年値を軸に、雪の気配があろうがなかろうが自分で決めたとおりに交換してしまう意志力の強い人。天気予報を気にしながらも怠惰には勝てず、一日延ばししているうちに白いものを見てしまう人。「初雪なんてすぐに融ける」と、内心の焦りを敢えて顔に出さずにいても、夜になってクルマを置いて帰宅する後悔繰り返し型のひと。

 そういう自分も、昨日の朝タイヤ交換を済ませたギリギリセーフ型のひとでした。

マゼンタをもう少し。

日が短くなり、夕方の帰宅時間は暗闇の中ですが、このところ朝の出勤時は爽やかな晴天に恵まれています。1ヶ月前には深い緑だった道路沿いの山も、少しずつ濃さを失って明るい黄色が支配力を増して来ました。

毎日それとなく見ている景色ですが、紅葉の鮮やかさは今週が盛りでしょう。いやいや、もっと言えば一昨日が一番の見頃だったでしょう。今年の紅葉を写真に留めておこうとカメラを向けながら、おとといよりも赤みが弱くなったと気付きました。

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カメラを向けるタイミングを失ったことに、ちょっと残念な思いでハンドルを持ち直して工房に向かいましたが、近くの街路樹の楓が、秋空に惜しみなくマゼンタを滲ませているではありませんか。

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いろんな気配に・・

けはい=気配をググると「確かな証拠は無いが『きっとそうだ』と自分で納得できること、なんとなく感じられる様子」とあります。

そう思って身の回りを注視すると、あるあるあるある!こんなんもそれだし、あれもそう!四六時中スマホを手放せずに忙しく暮らしている街の人達と違って、山の中で気温や天候と相談しながら仕事をしている者は、数限りない気配たちと時間や空間を共にしています。

目には見えなくてもあらゆる生き物達がそこいら中に存在する気配。木々や草花を芽吹かせ実を結ばせ、色づく葉を落とし、近づき遠ざかる季節の気配。

 例えば今日のこと。夜半までの雨は上がって、うららかな秋の日差しが柔らかな暖かさを届けてくれていますが、先週くらいまで鼻から吸い込んでしまうほど乱舞していた雪虫がまったくいなくなりました。北国の生活者にとってこの現象はあと10日程で初雪をもたらす冬の気配を伝えます。

 例えば数日前の暗がりの中。帰宅しようと車に近づくと、そこらの草影や笹薮で鳴いていた虫達が一斉に沈黙に身を預けました。すると間を置かずに5メートル程の暗闇からビエ〜〜ッツ!ビエ〜〜ッ!という、おもわず飛び上がるほどの大声が・・。一瞬の間を置いて、笹薮の中をバサッバサッツと大きくジャンプしながら遠ざかるシルエットは立派な角の牡鹿でした。毎日のように夕暮れ時から聞こえるピイ〜〜ユウ〜〜という、雌を呼ぶラッテイングコールの寂しい声と違って、すごい声量の警戒音。

感知能力を鈍らせつつある人間にすればそんな近くに居るとは全く気配に気付きませんでした。よほど驚かせてしまったようでごめんなさい。

 そして例えば自分自身のこと。この夏を棒に振った体調不良はほぼ治まって通常の生活に戻れはしたものの、先週なんの気配も無く突如激痛に襲われた左のくるぶしが治ったと思ったら、こんどは膝の半月板に障害が出そうな気配が。そればかりではありません。まったく歓迎できないことですが、身体のあちこちにプチ悪化の気配が・・・。

復活?

休業状態が1ヶ月半にもなると、さすがにそう落ち着いてもいられない。

左足のむくみは変わりないし、右膝の痛みもまだ残っているが、靴を履いて締め付ければそれほど不自由無く歩けるようにはなってきた。長い時間立っているとへたりこみたくなってしまうが、それでも少しずつは仕事ができるので、精神的には重しが取れてきた。

納期が間に合わずに、カヤック製作のキャンセルをお願いして心苦しいこともあったが、いつまでかかっても待つと言って下さる受注分が何艇も溜まっている。待って頂いているお客様にはたいへん申し訳ないことだが、待たれているという立場のなんと幸せなことか。一日でも早く完成させてお届けしたいと心から思える。

医者の話しでは、違和感無く歩けたりフツーに階段の昇り降りが出来るようになるのは3ヶ月くらいは先のことらしい。

今のところ階段のような段差の昇降は一段ずつだし、急いで歩くことも出来ないが、まあこの段階をほぼ復活できたものとして休業状態から脱出しよう。

 

海にも行かず、山にも行かず、水にも爽やかな空気にも無縁で、ただただ足の痛みや大量の汗に取り憑かれたようなこの夏も終わり、今日・明日の残暑を最後に明後日からは一気に秋の気配が支配するという。