降雪・無風

昨日から今日にかけて、日本海上の低気圧が台風のような勢力で津軽海峡周辺を抜けるせいで、函館や青森周辺では大雪と強風でたいへんだとニュースが告げています。

ここ札幌でもそこそこの降雪があり、除雪車も出動して、住民もひと時の雪かきに終われました。

自宅前のじゃまな雪をどけて工房に来ると、タイヤが半分隠れる30センチくらいの積雪。ただし、寒さのおかげで雪かきスコップですくっても全く重量を感じない程、ふわふわサラツサラのアスピリンスノー。そのうえ風が無いので吹き溜まりもいっさい無し。

 

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いかに風が無いか、この写真を見てください。

停めおいたキャンパーの垂直な側壁、取り付けられた窓枠の1センチほどの出っ張りの上に、その出っ張りと同じ厚みの雪が屋根まで届いていました。

風も去ることながら、通常は気温の影響で雪の結晶に変化が生じて、崩れ落ちたり巻き垂れを起こすので、こんな状態を保つのは珍しいことです。

 

世界のコロナ感染者は1億人を突破して収まる気配が見えませんが、こんな雪なら除雪機でも遠くまで飛ばせて、気持ち良く1日が始まります。

M J


スノーシューの製作をやめてから、冬の間は少しのんびりできるのでちょっと夜更かしをしても許される(自分で自分を赦すのだが・・)。

昨夜は、たまたま昼間にNHKが告知していた衛星放送の番組で、今は亡きマイケル=ジャクソンの記録映画<This Is It>を観ておこうと思った。

 

ロンドンを皮切りに50公演の10年ぶりワールドツアーが始まる直前、彼がこの世からいなくなったニュースが世界中を駆け巡った。お抱え医者による薬物の過剰投与だとか、本人の異常な服用が原因だとか、未だに真相はわからないままだが、この映画を見て今更ながら世界的損失に気付かされる。

 

振り返れば20世紀後半を生きた我々みんなは、折々にマイケルから視覚と聴覚でHotな贈り物を受け取ってきた。

まだグループ名もなく、地元のショッピングセンターで歌い踊るジャクソン兄弟の頃は知る由もないが、モータウンレコードに見出され、<ジャクソン5>として世界に飛び出してきた時点ですでに、消えゆく運命のジャリタレでは無かった。

ABC, The Love You Save(小さな経験), I 'll Be Thereなどのリズムとメロディは、半世紀を過ぎた今でも揺るぎない記憶だ。

なかでも、ダイアナ・ロスやステイービー・ワンダーに可愛がられた当時10歳のマイケルは、ソウルやポップスの枠にとらわれないエンターテインメントの申し子のような動きと歌で世界の賞賛を集める。突出した才能が兄弟のグループに別れを告げさせることになるが、ソロとしてスタートした14歳(写真)の頃には、宿命とも言える声変わりで悩んだこともあった。

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再び世界を丸ごと味方につけたのが80年代に入ってからのアルバムThriller=スリラーだ。ちょうどその頃先端だったレーザーデイスクから映されるレコード屋のブラウン管の前には、いつまでも人垣が途切れなかったものだ。Beat Itのヒットに至っては、どれだけ多くの若者をムーンウオークの練習に引き摺り込んだことか。

 

この記録映画が伝えるのは、追随を許さないエンターテナーの努力と素顔だ。

莫大な資産や整形疑惑、バイセクシャルなど、取り巻く噂は数あれど、異常なほどの努力と優しさで完璧なエンターテインメントを作りあげようとする姿は、リスペクトして止まないスタッフのみならず、誰もが感動と彼を失った無念さを禁じ得ない。

 

 

幻影・・・ペットロス?

我が家で飼っていた老犬が逝った。

義母を亡くした義父の寂しさが紛れるようにと娘が買ってきたトイプードルは、それから特に大きな病気をすることもなく、皆んなに可愛がられて17年半も生きることになる。やんちゃな盛りを義父と過ごし、一緒に食事をしたり散歩に行ったりと生活を共にしたものの、3年ほどでその義父も病に倒れ、我が家に引き取られてきた。

当時は工房に建てた犬舎に何頭かのソリ犬がいて、あまりの違いように戸惑った。自宅の周りを散歩させても、何人もの人から「似合わない」「イメージ違う」と言われ、運動能力や賢さは認めつつ、初めの頃は連れて歩くのがちょっと恥ずかしかったものだ。

以来、人目にも慣れ、どこに行くにも一緒の生活が十数年。3年前の九州旅行から帰ってきた頃から少しづつ老化が進み、2年前からは毎日ほとんど寝て過ごすようになって介護生活のような状態になる。去年からはドッグフードをまったく食べなくなり、以来毎日少しの牛乳とたまにほぐした鶏肉を口にするくらいで生き続けるものの、それも昨秋あたりからは手を添えて立たせてやって何とか排泄ができる程度になっていた。

獣医からは「人間にしたら110歳ってところだから、今日明日にも逝っても不思議はない」と言われていたが、それからまだ1ヶ月以上も命をつないでくれた。

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上の写真は寝ているだけで、まだ死んではいない8月頃のもの。

 

11月18日、自宅のソファで膝の上に乗せてくつろいでいた時、とうとう最期の時が来た。写真のような体勢で安らかな表情のまま、心臓の鼓動だけが消えていった。

 

もう2ヶ月も経とうというのに、ソファの端っこの白っぽいクッションが視界の端に入るたび、当たり前のように彼がそこで寝ているような錯覚が起きる。

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べつに追憶や涙に暮れたりする訳でもないのだが、ただの錯覚というよりは幻影に近いような気がする。長い時間を共にしたことがそうさせる一種のペットロスだろうか。

 

 

 

 

復活!

夏にこのブログにログイン出来なくなってから5ヶ月余り、最初のうちこそいろいろやってはみたものの、最近では触る気にもならずにすっかり放置状態・・・だったのに、エッ、ウソ!なおってる!

 

晦日、PCの調子が悪い旨を娘婿に伝えると、「Macはよくわからない」とか「OSを新しくすれば」とか言いつつ、NHKの<紅白歌合戦>を見ながらチョチョイと(でもないのかもしれないが傍目にはかるがると)新しいバージョンのOSをインストールしてくれた。

壁紙こそ変わりがないが、デスクトップもアイコンも見慣れないものになってしまったので、いろいろ試していてブログが書けるようになっていることにやっと気付いた。しかもこれまではいつも使っているMacで繋がらなくなって、そのつど別のWindowsをつないでやっていたのに、なんとそのMacで接続が復活している。

 

ああ、この半年足らずの間にもいろいろありましたねえ。

8月にはウソつきの安部くんが腹痛を理由に政権を投げ出した。春に不評を買ったアベノマスクあたりからやる気を亡くしてたようだけど、突然の降板は周囲を慌てさせるだけだったね。これまで滅私奉公で社長の不始末をガードしてきたスガくんが、半ばその場しのぎで引継ぐことになったけど、番頭はしょせん番頭でいきなり親玉はムリってもの。このコロナ禍にあって諸国のリーダーと比べられるけど、悲しいかな何かボソボソしゃべっても目が死んでいて覇気がない。

ここはイッパツと、状況を無視してGo To Travelなんかやって全国をかき回すもんだから、手がつけられなくなってきた。ケーザイが大事というけれど、二兎を追っても結果が全て、感染者数は増えるばかりで光明が見えてこない。

明日からは全国的に大雪と寒波に覆われるそうで、みんなのココロもさらに沈む。

 

でもまあ、原因は分からずじまいでもこのブログなおったからいいかア。

 

 

 

 

カーテンの上と下

毎朝、鍵を開けて仕事場に入るとまず全部のカーテンを開けるのが習慣です。というより、遮光カーテンなので、開けなければ部屋が薄暗くて一日が始まるムードになりません。

部屋に入るなりシャーッ、シャーッ、と勢いよく開けて回るのですが、天気の良い日は陽当たりの良い窓のカーテンはちょっとした注意が必要です。

窓枠の溝にそってヘビ君が気持ちよく日光浴を楽しんでいることが度々です。

 

この日もそうでした。開けようとしたカーテンの下から、見慣れた青大将の太い胴体が何カ所かで垂れ下がっています。カメラを向けてそ~っとカーテンを開けようとすると、迷惑そうな動きで、おもむろにテレビの裏のゴチャゴチャした配線の中に入っていこうとします。侵入者らしさの欠片もないそのふてぶてしい様子にちょっとカチンときて、部屋から引っ張り出してやることにしました。

ゴム手袋でもしていれば別ですが、素手でこいつを物陰から引っ張り出すのは容易ではありません。掴んだ手に脂が付くことは無いのですが、まるで身体中に薄く脂をひいたように滑ります。頭を掴めればいいのですが、胴体や尻尾を掴んでウロコの向きに逆らって引っ張っても、何かの角などに身体を絡ませたらまずすんなり勝利することができません。まあ、この時はなんとか引っ張り出したのですが、生きたままヘビの全長を測るのはこれまた困難です。くねくねと暴れるヤツを床に置き、右手で頭を押さえながら左手で尻尾まですばやく伸ばして、だいたいの位置を覚えておいて後で測ってみました。アオダイショウとしては平均以上の長さで約140cm。なかなか立派な奴でした。

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やれやれ一件落着・・と、改めてカーテンに手を掛けると、そのカーテンの上にももう一匹。まったく動じることなく今の騒ぎを見下ろしていたみたい。

でもこいつはそれほどの長さではなく、目視ではまあ1メートルはない様子。無表情な丸い目と見つめ合ってしばらくフリーズした後、ゆっくり引き下がって頂きました。

 

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幼少期を本州の田舎で過ごした自分にとって、このアオダイショウという爬虫類はそれほど忌み嫌う存在ではありません。

旧家や商家の奥には必ず土蔵があり、その蔵の暗がりにはヌシといわれるこいつらが密やかに暮らしていたものでした。鼠小僧も入れないという真っ暗な土蔵の中にどうやって入りこむものやら、そのころ謎だった<?>は今でも心の奥に在り続けています。

「悪さしちゃあいけんよ。ヌシさんじゃけえ。これがおんさるけえこの蔵がネズミに荒らされんで済んどるんでね。」いまは亡い祖母から何度も諌められたものです。

たしかに冬場を除いて工房の中がネズミに荒らされることは無くて済んでいます。

雨模様だった昨日はいませんでしたが、晴天の今日はやっぱり寛いでいました。

ただ、毒を持たないとは云え、音もなく入り込み、音もなく白いウンコを残していく困ったヤツらではあります。

 

タピオカ・・?

本州以南の人達からは斜め下目線でフンッと言われそうですが、このところ北海道でも26~27℃の夏日が続き、いささかウンザリ気分に支配される昼下がりです。

 

そんな先日のこと。汗ばむ作業の途中で喉をうるおそうと冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し、そのまま口をつけてゴクゴク飲んだのです。

身体が要求する必要量を超えるほど喉の奥に流し込み、最後のひとふくみを口の中で楽しんでいるとき、、、何やら歯に触れるような違和感が!!

ウン?? 舌の先で確かめてみるとツルンとした丸いものらしい。

ああ、タピオカだ・・・・? いや、そんな訳ないだろ!

口の中に残った物体をそっと歯で噛んで確かめながら、手に持ったペットボトルの底に5センチほど残ったお茶をのぞき込む。

ウワッ!何だコリャ!  真っ黒いタピオカのような、いや、直径1,5センチほどの小さなマリモのような物体が5~6個浮き沈みしている。と同時に口の中の不気味なヤツが顎のちからを奪い取って唇を半開きにする。

 

冷蔵庫の過信でした。

長く飲みかけのまま放置したお茶を疑いなく口に運んだ自分の失敗です。これは言い訳になるし製造元のキリンに恨みもありませんが、このお茶は<生茶>というもともと濁ったヤツだったから気付かずに飲んでしまったのかも。これが澄んだタイプの飲み物なら、あるいは口に持っていく前に気付いたかもしれません。

 

今でも口の中にプニュッとした真っ黒クロスケの歯触りが残っていて、思い返すたびに感触がよみがえるのです。

さらに、もう何年も前のことですが、パック入りの牛乳をガブ飲みしたら、口中が杏仁豆腐でいっぱいになってノドが詰まりそうになったことも思い出します。

 

これを読んでいて気分が悪くなった方スミマセン。冷蔵庫の過信はいけませんね。

失われた春

コロナ禍はアメリカやブラジルでは今まさに大量の感染者や死者を出し続けていますし、少し前にはヨーロッパ各国がそうでした。ただ、わが国では、「コロナウィルスが猛威をふるい・・」といった表現はどうもいま一つしっくり来ないような気がします。

パンデミック下の海外各メディアからもたらされるショッキングな映像をはじめ、昼夜を問わず降り注ぐ<見えない敵>の情報が、国中をとめどない不安と猜疑心から生じる極度の緊張感で満たしたことは否めませんが、幸いにも破滅的な被害に襲われることなく、おおむね脅威は静まってきたように感じられます。

学者も政治家も誰ひとり科学的根拠を説明できませんし、海外の目にはことごとく常識に逆行しているように見えるという日本の感染症対策は、とにもかくにも経済の収縮傾向と自粛生活にピリオドを打つ状況を許したように思います。

武漢の都市封鎖に始まり、クルーズ船のクラスター問題、非常事態宣言と休業休校の要請、渡航禁止や県をまたいでの移動禁止などをうけて、おおよその国民は大勢に従ってこの5か月の間を半信半疑で過ごしてきました。この間、季節と密接なイベントとしてのお花見や高校野球、入学・入社式やゴールデンウィークの大移動まで否定されて、日本中のほとんどの人達はこころに大きな空白を抱え、2020年の春という季節を失ったような気がしているのではないでしょうか。

 

非常に矮小かつ個人的なことですが、3月半ばにこのブログにログインできなくなりました。メニューバーが出なくなり、調べると「第3者によってクッキーが無効です」などと手も足も出ないアドバイス

己の情けなさの再認識を強いられながら、いたずらに春を見送って夏を迎えようとしていましたが、ちょっと気分を変えて別のパソコンでログインしてみたら、なんと繋がったような気配。何が原因だったのか分かりませんが、抜け落ちたこの3か月間は、無為に時間を見送ってきたような気がします。うまくいけばまたしばらくはブログを使えるかもしれません。

 

人間界には迷いや警戒が渦巻いて、この先も手放しで季節を楽しむことができないと思いますが、工房の周囲の自然環境は、着実かつはずむように夏に向かっています。

 

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画像は何度か見かけた去年と同じ雌熊。2頭いたはずの子熊は、アクシデントがあったのか1頭だけになっていますが、くれぐれも人目に触れないように願いましょう。

ウイルスに引っ掻き回される人間社会をよそに、鹿も狐も狸もウサギもリスも、みんな元気にそれぞれの意思で動き回っています。