復興の日々

昨日、22日はあの地震があってから10年になるとテレビが伝えていました。

その日、突然飛び込んできたニュースは、ニュージーランドで大きな地震が起き、多くの日本人語学留学生が行方不明とのこと。もどかしさに気を揉みながらも、小刻みに入ってくるニュースは、南島最大の都市クライストチャーチの近郊が震源であること、たくさんの建物が倒壊し、語学学校が入ったビルが崩れ落ちて大勢の若者が下敷きになったと報道していました。現地に駆けつけた遺族も捜索現場には近づけず、憔悴と焦燥に無言で堪える様子は今でも忘れられません。

その後判明した犠牲者は日本人の若者が28人、市内全域で185人ということですが、遺体確認ができずその犠牲者数が確定しないうちに、今度は日本が大変なことになりました。そう、2011年3月11日、日本という国家をも変えた東日本大震災が、ショッキングな画像と深い悲しみをを伴って全土に覆い被さってしまいました。

 

10年の時を経ても尚、解体されて更地になったビル跡が散見されるクライストチャーチですが、その街の名にもなった市中心部のカセドラル(大聖堂)の再建が始まったと伝えられました。写真は2018年の様子ですが、大破して前面が崩壊しています。この大聖堂の前に広がる美しい広場が以前のような明るさを取り戻すのはいつになるのでしょうか。

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被災した商業施設や飲食店が、街の一角にコンテナを並べたり積み重ねたりして仮設店舗とし、Re=START(再出発)と名付けて集客している空間を楽しんだのは2016年(写真)。2018年に訪ねた時には大半のコンテナは撤去され、復興が進んでいることを空いたスペースが示していました。

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Re=START

想像できないほどの時間と費用が見込まれるフクシマを除いて、日本でも東日本大震災からの復興はそれなりに進み、仮設の住宅や店舗は撤去されるところが多いようです。

コロナの影響で昨年4月に予定していたNZ旅行はキャンセルになり、次に行けるのがいつになるかまったく不明ですし、移動自粛や非常事態宣言で国内旅行もままなりませんが、大好きなニュージーランドや美しい三陸海岸を訪れる日を心待ちにしています。

楢山節考


たぶん小学校高学年の頃だったと思う、この映画を見たのは。それからずっと記憶の奥の暗がりに、うろ覚えではあるが棲み続けている。

1958年に作られたこの映画は、41歳にして処女作という深沢七郎の原作、木下恵介脚本・監督、田中絹代主演で、フィクションではあるが、かつて全国にあった姥捨の因習を映画化した問題作だったという。

食糧の乏しい山間の部落では、口減らしの慣わしとして、数え七十になったら楢山さまへ登って自ら命を絶つことになっており、老いた母親を息子が背負って神の住む山頂まで運ぶという、やるせない永遠の別れがストーリーではある。

60年以上も昔の映画ではあるが、記憶にあったタイトルを見つけて、観るというか確かめてみたくなった。

 

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楢山節考

年代を考えると無理もないことではあるが、画質の悪いこと夥しい。当時は「総天然色」と誇らしく呼ばれたと思うが、今見ると色使いの不自然なこと。

ロケはなく、全編撮影所のセットで撮られているようで、まるで学芸会のステージにしつらえられたかに見える。奥行きの感じられない背景は、山並みや夕焼け空がいかにも手描きのようだし、土を敷いた床板の上を歩く役者の足音はトントンと軽い音で入ってくる。

子供の頃の印象では、のちに観ることになる「裸の島」のように、セリフが極端に少なくてまるで無声映画みたいだったと記憶していたのだが、そうではなくて、全編にわたって琵琶の音がベンベンベンと途切れなく響き続けるので、よく聞こえなかっただけなのかもしれない。

 

エンドロールのあと突然、時代に合わないSLが線路を走るシーンが映って、停まった駅が「おばすて」という。これは長野県にあるというのだが、映画の舞台ということではなく、地名として残っているというだけのこと。姥捨の忌まわしい習慣はいたるところにあったという。

 

毎日、おにぎりにして1億個以上が捨てられているという今の日本にあって、飢餓をイメージできる若者がどのくらいいるのだろうか。

 

 

 

降雪・無風

昨日から今日にかけて、日本海上の低気圧が台風のような勢力で津軽海峡周辺を抜けるせいで、函館や青森周辺では大雪と強風でたいへんだとニュースが告げています。

ここ札幌でもそこそこの降雪があり、除雪車も出動して、住民もひと時の雪かきに終われました。

自宅前のじゃまな雪をどけて工房に来ると、タイヤが半分隠れる30センチくらいの積雪。ただし、寒さのおかげで雪かきスコップですくっても全く重量を感じない程、ふわふわサラツサラのアスピリンスノー。そのうえ風が無いので吹き溜まりもいっさい無し。

 

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いかに風が無いか、この写真を見てください。

停めおいたキャンパーの垂直な側壁、取り付けられた窓枠の1センチほどの出っ張りの上に、その出っ張りと同じ厚みの雪が屋根まで届いていました。

風も去ることながら、通常は気温の影響で雪の結晶に変化が生じて、崩れ落ちたり巻き垂れを起こすので、こんな状態を保つのは珍しいことです。

 

世界のコロナ感染者は1億人を突破して収まる気配が見えませんが、こんな雪なら除雪機でも遠くまで飛ばせて、気持ち良く1日が始まります。

M J


スノーシューの製作をやめてから、冬の間は少しのんびりできるのでちょっと夜更かしをしても許される(自分で自分を赦すのだが・・)。

昨夜は、たまたま昼間にNHKが告知していた衛星放送の番組で、今は亡きマイケル=ジャクソンの記録映画<This Is It>を観ておこうと思った。

 

ロンドンを皮切りに50公演の10年ぶりワールドツアーが始まる直前、彼がこの世からいなくなったニュースが世界中を駆け巡った。お抱え医者による薬物の過剰投与だとか、本人の異常な服用が原因だとか、未だに真相はわからないままだが、この映画を見て今更ながら世界的損失に気付かされる。

 

振り返れば20世紀後半を生きた我々みんなは、折々にマイケルから視覚と聴覚でHotな贈り物を受け取ってきた。

まだグループ名もなく、地元のショッピングセンターで歌い踊るジャクソン兄弟の頃は知る由もないが、モータウンレコードに見出され、<ジャクソン5>として世界に飛び出してきた時点ですでに、消えゆく運命のジャリタレでは無かった。

ABC, The Love You Save(小さな経験), I 'll Be Thereなどのリズムとメロディは、半世紀を過ぎた今でも揺るぎない記憶だ。

なかでも、ダイアナ・ロスやステイービー・ワンダーに可愛がられた当時10歳のマイケルは、ソウルやポップスの枠にとらわれないエンターテインメントの申し子のような動きと歌で世界の賞賛を集める。突出した才能が兄弟のグループに別れを告げさせることになるが、ソロとしてスタートした14歳(写真)の頃には、宿命とも言える声変わりで悩んだこともあった。

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再び世界を丸ごと味方につけたのが80年代に入ってからのアルバムThriller=スリラーだ。ちょうどその頃先端だったレーザーデイスクから映されるレコード屋のブラウン管の前には、いつまでも人垣が途切れなかったものだ。Beat Itのヒットに至っては、どれだけ多くの若者をムーンウオークの練習に引き摺り込んだことか。

 

この記録映画が伝えるのは、追随を許さないエンターテナーの努力と素顔だ。

莫大な資産や整形疑惑、バイセクシャルなど、取り巻く噂は数あれど、異常なほどの努力と優しさで完璧なエンターテインメントを作りあげようとする姿は、リスペクトして止まないスタッフのみならず、誰もが感動と彼を失った無念さを禁じ得ない。

 

 

幻影・・・ペットロス?

我が家で飼っていた老犬が逝った。

義母を亡くした義父の寂しさが紛れるようにと娘が買ってきたトイプードルは、それから特に大きな病気をすることもなく、皆んなに可愛がられて17年半も生きることになる。やんちゃな盛りを義父と過ごし、一緒に食事をしたり散歩に行ったりと生活を共にしたものの、3年ほどでその義父も病に倒れ、我が家に引き取られてきた。

当時は工房に建てた犬舎に何頭かのソリ犬がいて、あまりの違いように戸惑った。自宅の周りを散歩させても、何人もの人から「似合わない」「イメージ違う」と言われ、運動能力や賢さは認めつつ、初めの頃は連れて歩くのがちょっと恥ずかしかったものだ。

以来、人目にも慣れ、どこに行くにも一緒の生活が十数年。3年前の九州旅行から帰ってきた頃から少しづつ老化が進み、2年前からは毎日ほとんど寝て過ごすようになって介護生活のような状態になる。去年からはドッグフードをまったく食べなくなり、以来毎日少しの牛乳とたまにほぐした鶏肉を口にするくらいで生き続けるものの、それも昨秋あたりからは手を添えて立たせてやって何とか排泄ができる程度になっていた。

獣医からは「人間にしたら110歳ってところだから、今日明日にも逝っても不思議はない」と言われていたが、それからまだ1ヶ月以上も命をつないでくれた。

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上の写真は寝ているだけで、まだ死んではいない8月頃のもの。

 

11月18日、自宅のソファで膝の上に乗せてくつろいでいた時、とうとう最期の時が来た。写真のような体勢で安らかな表情のまま、心臓の鼓動だけが消えていった。

 

もう2ヶ月も経とうというのに、ソファの端っこの白っぽいクッションが視界の端に入るたび、当たり前のように彼がそこで寝ているような錯覚が起きる。

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べつに追憶や涙に暮れたりする訳でもないのだが、ただの錯覚というよりは幻影に近いような気がする。長い時間を共にしたことがそうさせる一種のペットロスだろうか。

 

 

 

 

復活!

夏にこのブログにログイン出来なくなってから5ヶ月余り、最初のうちこそいろいろやってはみたものの、最近では触る気にもならずにすっかり放置状態・・・だったのに、エッ、ウソ!なおってる!

 

晦日、PCの調子が悪い旨を娘婿に伝えると、「Macはよくわからない」とか「OSを新しくすれば」とか言いつつ、NHKの<紅白歌合戦>を見ながらチョチョイと(でもないのかもしれないが傍目にはかるがると)新しいバージョンのOSをインストールしてくれた。

壁紙こそ変わりがないが、デスクトップもアイコンも見慣れないものになってしまったので、いろいろ試していてブログが書けるようになっていることにやっと気付いた。しかもこれまではいつも使っているMacで繋がらなくなって、そのつど別のWindowsをつないでやっていたのに、なんとそのMacで接続が復活している。

 

ああ、この半年足らずの間にもいろいろありましたねえ。

8月にはウソつきの安部くんが腹痛を理由に政権を投げ出した。春に不評を買ったアベノマスクあたりからやる気を亡くしてたようだけど、突然の降板は周囲を慌てさせるだけだったね。これまで滅私奉公で社長の不始末をガードしてきたスガくんが、半ばその場しのぎで引継ぐことになったけど、番頭はしょせん番頭でいきなり親玉はムリってもの。このコロナ禍にあって諸国のリーダーと比べられるけど、悲しいかな何かボソボソしゃべっても目が死んでいて覇気がない。

ここはイッパツと、状況を無視してGo To Travelなんかやって全国をかき回すもんだから、手がつけられなくなってきた。ケーザイが大事というけれど、二兎を追っても結果が全て、感染者数は増えるばかりで光明が見えてこない。

明日からは全国的に大雪と寒波に覆われるそうで、みんなのココロもさらに沈む。

 

でもまあ、原因は分からずじまいでもこのブログなおったからいいかア。

 

 

 

 

カーテンの上と下

毎朝、鍵を開けて仕事場に入るとまず全部のカーテンを開けるのが習慣です。というより、遮光カーテンなので、開けなければ部屋が薄暗くて一日が始まるムードになりません。

部屋に入るなりシャーッ、シャーッ、と勢いよく開けて回るのですが、天気の良い日は陽当たりの良い窓のカーテンはちょっとした注意が必要です。

窓枠の溝にそってヘビ君が気持ちよく日光浴を楽しんでいることが度々です。

 

この日もそうでした。開けようとしたカーテンの下から、見慣れた青大将の太い胴体が何カ所かで垂れ下がっています。カメラを向けてそ~っとカーテンを開けようとすると、迷惑そうな動きで、おもむろにテレビの裏のゴチャゴチャした配線の中に入っていこうとします。侵入者らしさの欠片もないそのふてぶてしい様子にちょっとカチンときて、部屋から引っ張り出してやることにしました。

ゴム手袋でもしていれば別ですが、素手でこいつを物陰から引っ張り出すのは容易ではありません。掴んだ手に脂が付くことは無いのですが、まるで身体中に薄く脂をひいたように滑ります。頭を掴めればいいのですが、胴体や尻尾を掴んでウロコの向きに逆らって引っ張っても、何かの角などに身体を絡ませたらまずすんなり勝利することができません。まあ、この時はなんとか引っ張り出したのですが、生きたままヘビの全長を測るのはこれまた困難です。くねくねと暴れるヤツを床に置き、右手で頭を押さえながら左手で尻尾まですばやく伸ばして、だいたいの位置を覚えておいて後で測ってみました。アオダイショウとしては平均以上の長さで約140cm。なかなか立派な奴でした。

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やれやれ一件落着・・と、改めてカーテンに手を掛けると、そのカーテンの上にももう一匹。まったく動じることなく今の騒ぎを見下ろしていたみたい。

でもこいつはそれほどの長さではなく、目視ではまあ1メートルはない様子。無表情な丸い目と見つめ合ってしばらくフリーズした後、ゆっくり引き下がって頂きました。

 

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幼少期を本州の田舎で過ごした自分にとって、このアオダイショウという爬虫類はそれほど忌み嫌う存在ではありません。

旧家や商家の奥には必ず土蔵があり、その蔵の暗がりにはヌシといわれるこいつらが密やかに暮らしていたものでした。鼠小僧も入れないという真っ暗な土蔵の中にどうやって入りこむものやら、そのころ謎だった<?>は今でも心の奥に在り続けています。

「悪さしちゃあいけんよ。ヌシさんじゃけえ。これがおんさるけえこの蔵がネズミに荒らされんで済んどるんでね。」いまは亡い祖母から何度も諌められたものです。

たしかに冬場を除いて工房の中がネズミに荒らされることは無くて済んでいます。

雨模様だった昨日はいませんでしたが、晴天の今日はやっぱり寛いでいました。

ただ、毒を持たないとは云え、音もなく入り込み、音もなく白いウンコを残していく困ったヤツらではあります。