北海道のヘイケボタル

最低気温が25度以上の熱帯夜こそ北海道には無いものの、このところ夜になっても何だか蒸し暑いのは、ロンドンオリンピックの中継に熱中しているからばかりではないでしょう。
北海道各地のヘイケボタルもクライマックスの季節を迎えています。あと一週間もすれば満月の明るい夜になり、精いっぱい光りのサインを出しても目立たなくなるので、まさに今がいちばん大切な期間ということになります。

最近では生物学者による昆虫のDNA解析も進み、北海道各地に生息するホタルに付いても色々なことが判ってきました。これまでどれもみな同じと考えられていたヘイケボタルが、水系によって遺伝子が違い、おしりの発光器を点滅させるディスプレイ間隔も、極端な場合は隔てられた一本の川ごとに異なることが明らかになりました。そしてその事実を、わたしたちはどのように類推すれば良いのでしょう。

もともと南方系のホタルの仲間は、人間が地球に出現するよりもずっと昔から、寒冷期には南下し、温暖な時代は北上して、少しずつ適応しながら生息圏を北に拡げてきました。
魚のように幼虫が海を泳げる訳でもなく、羽があるからといって鳥のように遠くまで飛べるわけでもない、しかも羽化してから一週間か10日の命しかない小さなホタルがどうやって? それは小さな奇跡の集積でもあるのです。

水辺を歩いた鳥の脚にたまたまくっついた卵が、遠くの水辺で落とされたかも知れません。たった一週間の成虫の間に、交尾を済ませたメスが強風や竜巻で遠くの川辺に運ばれたかも知れません。そしてそんな偶然が起きるのは百年に一度、いやもっと・・。

そのたまたまが積み重なって北海道に生息するようになったヘイケボタルも、無風状態で500メートルくらいしかない飛翔能力では、となりの川まで交接相手を探しにも行けず、道内各地の河川で、まさに平家の落人部落のようにひっそりと、数千数万の年を生き延びてきたものと思われます。しかし、そのくらいの年月ではまだまだ北の風土に完全に適応したとは言えません。なぜなら、本州では1年で一生のサイクルを終えますが、低温環境下の北海道では成虫になるのに2年以上掛かる場合があるからです。

特異な昆虫であるホタルが、その印象の強烈さゆえシンボリックに利用される事に反対するものではありません。むしろ、一生忘れない素晴らしい想い出として、より多くの人の心に浸み込んで欲しいと思います。最近では、研究熱心な人が自宅や学校で人工孵化に取り組み、成功して子供たちと放流したというニュースも耳にするようになりました。 「スゲェ、ほんとに光ってる!」「わー、きれい!」も自然な反応でしょう。でも、ちょっとだけホタルの事情も分かってやって下さい。悪意は無いとしても、もとの川とは違ういろんな場所に放流したり、より大きくて明るいからと北海道に生息しないゲンジボタルを放流するのは、北海道のヘイケボタルにとって災厄でしかありません。