禁煙力

煙草をやめたのが東北大震災のすぐ後だから、もう少しで禁煙生活が二年になる。

はっきりした決意があってやめた訳ではない。
確かにここ数年来喫煙に対する圧力が高まり、値上げや健康志向をきっかけに身の回りで禁煙する人が増えてはいた。公共と名を付けられる場所や建物は言うに及ばず、社会全体が魔女狩りのようにジリジリと喫煙者を追い詰め、吹き寄せられた狭い喫煙所の雰囲気は、そこを使う度に惨めな思いを貼り重ねてくれる。
外圧が高まるほどに負けん気も増幅し、「酒は飲んでも煙草は止めねェ」と、KYなオヤジギャグを繰り返して開き直っていた。

それが、何のきっかけでやめる事になったのか。今になってもよく判らない部分がある。
近くのコンビニからセブンスターが無くなったのが、あの激烈な震災の3日ほど後だ。あらゆる物流に支障が出て、煙草だけではなくいろんなものが店頭から次々消えていた。その時点ですぐにあちこち走り回って買いあされば多少は入手できたかもしれないが、繰り返される津波の惨状と原発事故の報道に、そんな行動を良しとしない自分がその時はいた。
「洋モクにしたら?セブンスターは仙台の工場で作ってるから当分ダメだよ。」という店主の言葉に、「日和ってたまるか」と余計に意地になってもいた。

<耐え難きを耐え、己を諌めるやせ我慢こそ武士道の真髄>と信じてやまない身としては、本意ではない禁煙生活に挑むことになる。そして、禁煙外来の処方も禁煙パイポも使わずに、1本も口に触れることのないままそろそろ2年だ。

正直に白状すれば幾たびか葛藤はあった。
無意識に手が胸ポケットをまさぐる時、深く吸い込んだ後ゆっくりと口を細めて吐き出す夢を見た時、2ヶ月ほどして店頭にまた並んだ時、もう自分を許してやっても・・と心が傾きかけた。
そして、誰にも禁煙を宣言した訳ではないことを理由に、また喫煙者に戻ることが可能だというズルくて細い言い訳の道は心のどこかに残していた。

今でも自分は煙草を吸わない喫煙者だと思う。また、禁煙は一生続けなければならないとも言う。

震災の負のパワーが禁煙に踏み切らせ、そして絶たせてくれたのだろうか。