啓蟄

啓蟄(けいちつ) 二十四節季のうち地中で冬をやりすごした虫たちが、春の到来を感じて地上に姿を現す候。
暦の上の啓蟄は3月の初旬だが、この国の中枢ではなにやら原子力ムラの住民たちが蠢きはじめた。

2030年までに原発ゼロをめざすとした前政権から、それをご破算にして再稼働を目指し、エネルギー問題をも考え直すという自民党の政権復帰を慈雨とみたのか、福島原発の事故で等しくショックを受けて口をつぐんでいた学者や官僚が、何も変わっていないロジックをおそるおそる低いトーンで語り始めた。

フクシマでは何も事態の好転が無いまま汚染水だけが大量に増え続け、これを本当に収束させる技術を人類が持ち合わせないことを浮き彫りにしてくれる。

嘘やごまかしで繕った原子力政策という赤信号だが、皆で渡っていたのだからという過去を言い訳に、東電も官僚も学者も政治家も誰ひとりとして己の責任を認める者が無い。

それどころか「出続ける猛毒のウンコの処分方法も埋設場所も闇の中なのに」との問いに、原子力委員会の近藤委員長がいみじくも答えてくれている。「そもそも人類が後始末の問題まで解決した上で使い始めたエネルギーや技術など無いのだ」と。

「センセーよォ、それを言っちゃーおしメェよ。原始人でもあるめェし」・・寅さんの声が聞こえる。
頂点に立つ学者にそう言わせるほど、我々人類は本質的に傲慢で身勝手な生き物なのだろうか。何の恩恵も受けず、猛毒の廃棄物を土地の下に抱いて生きなければならない将来の世代に対して、考慮も詫びも必要無いというのか。

「デフレからの脱却と経済成長のためには原子力のパワーが絶対に必要」という安倍政権の目先だけの視線に同調して、不都合な事実から目を逸らしてはならない。

果てしない困難が横たわっているとしても、人類としての合意形成が必要だろう。学会や財界や政界のメンバーに任せてはならない。日米仏のイニシアチブに任せてはならない。黙していた人類学者や語ることのなかった宗教家、考えることをパスしてきた我々消費者や、このさき大人になった時に主役として解決を迫られる子供達まで加え、あらゆる情報をテーブルに並べて語り合うことを避けてはいけない。

今日は暦の上では<雨水>。降る雪が雨に代わり凍てついた地面を静かに解かす候だという。