アトムの子

<戦争を知らない子供達><団塊の世代>そして<アトムの子>という代名詞で呼ばれる戦後生まれの世代も、気が付けばベビーブーマーからどんどん高齢者の仲間入りです。

初めは漫画で、後には白黒TVのアニメで<鉄腕アトム>にくぎ付けになってから半世紀。我々の世代は、夢と現実をないまぜにしながら大人になり、きちんと自分たちの社会にジャッジすることなく過ごしてきてしまいました。

♪こころ優しぃ〜科学の子ォ 10万馬力だ鉄腕アトム〜・・と歌いながら、きっと未来は素晴らしい。原子の力が約束してくれる。その想いは永遠の未来に続いていると信じていました。
ちょうどその頃、東海村の原子炉に<未来の火>が灯ったと社会科の教科書で習い、原子力の平和利用が将来ぜったいに必要だと教えられました。やがて全国各地に原子力発電所が作られ、原子力空母や原子力潜水艦など、<原子力>がどんどん耳馴染みのあるワードになっていきます。

その一方で、ゴジラの誕生から放射能の恐ろしさを知り、広島や長崎の悲劇と絶望を知り、そしてチェルノブイリやフクシマを体験することになります。

太陽のような未来のエネルギーも、放射能の底知れない恐怖も、それが同じものであることを大人ははっきりと示してくれませんでした。

だからと言って、先達を責めても責任をとれる訳ではありません。平和利用の名の下に、真実を知ろうとせず、流れに任せて、私達はすでに取り返しのつかないところまで状況を進めてしまいました。膨大なコストを使っても人類が処理できない廃棄物を考えれば、立ち止まって謙虚に考え直すべき時が今ではないでしょうか。将来の世代に大変な置き土産をして消えていくことを、恥としなければなりません。

私達は唯一の被爆国民だというのに、罪無き福島の人達と国土に与えたダメージを持ってしても、警鐘とはならないのでしょうか。

ところで、最近騒がしい隣国の太っちょ坊や。特権環境で当然<アトム>を見て育ったでしょうが、もう1度その頃の純な感性を思い出して欲しいものです。ちょっとでも狂気に走って、原発列島と呼ばれるこの国に向けてミサイルを発射するなら、狙いさえ原発に定めれば核弾頭を搭載する必要は無いのですから。