8月の雪

神居古譚を過ぎて旭川に入った頃には、それまで時折り強く降っていた雨も止み、厚く垂れ込めた雲も心なしか少しずつ上がってきたようだ。上川のインターで高速を降り、道路の両側に屏風を立てたような層雲峡に車を進める頃には、夏の強い太陽がこのガスを文字通り雲散霧消してくれると確信できた。
大雪ダムを過ぎて右手に目をやる。青い大雪の山肌のあちこちに置かれた真っ白い万年雪が、思惑通り視界に入った。駐車帯に停めた車を降り、爽やかさを大きく吸い込みながら、10キロ程先のその雪渓の白さに心で触れる。今時分はスプーンカットでガタガタの堅い表面になっている雪渓だが、あと一月ちょっとしてその上に初雪を載せるまで、少しづつ縮むその周りにはチングルマやウサギギクが僅かな時間に急ぎ咲いているだろう。

昭和基地に送る道具の打ち合わせのために北見へ向かう行程を、わざわざ変更してこの白を目にするために遠回りした。そして、それが見えただけで心が膨らみ、タイムロスなど気にもならない。子供の頃から雪の白さは何万回も目にしているのに、どんな力があって白はここまで私を惹きつけるのか。
何十年も前の秋の終わり、まだ十代の少女だった妻が、二人で暮らすアパートの窓の外の気配の変化に気付き、内窓を引き開けるなり大きな声で「わぁ!吹雪だ吹雪きだぁ」と初雪を見て喜んだ。南国生まれならともかく、北海道で生まれ育った彼女でも雪の白さに惹かれることがあるのかと、違和感と同感を同時に感じたことを今でも覚えている。