生者必滅とは言うけれど

親しくしてくれていた、秀岳荘の工場長が亡くなった。
69才。脳梗塞だそうだ。
創業家金井一族の末子として、高卒後は東京の山岳テント店に修行に入り、爾来半世紀に亘って山道具の変化と進歩に関わって来た人だった。
お互い得意分野は違ってももの作りの先輩であり、歳は上だが戦友のような関係でもあったような気がする。
四半世紀前から、こちらが作る犬ぞりに合わせたドッグバッグを縫ってもらったし、パタゴニア遠征用の特注テント、南極用ソリのカバーなど想い返すときりが無い。
20年前には「自分でも使えるしょ」と工業用ミシンもくれたし、つい先日もイベント用の筏に取付ける帆のようなものを縫製してくれたばかりだった。たいして金にもならない難題を持ち込む度に、ちょっとはにかんだような顔で「わかった。やっちゃる」と一言。そして約束には必ず間に合わせてくれた。
おせじにも接客が上手かったとは言えないし、おそらく金もうけにも疎かったに違いないが、秀岳荘という全国的にも稀な工場を併設した山岳用品店は、この人の存在を抜きにしては語れない。

持ち込まれた30年以上も前のザックの金具の修理を、面倒くさそうに引き寄せて始めるとき、顔つきとは裏腹に「よし、直してやるぞ」と心の奥が微笑み出すのが、同じ位置に立つ私には見てとれる。もう少し一緒に仕事をしたかった。