金子みすゞのやわらかいちから

金子みすゞの名前は知っていました。といっても、何かのCMで使われていた<大漁>という詞の作者だというだけのこと。金子みすゞ本人について、それ以上のことはついこのあいだまでほとんど知りませんでした。

 朝やけ小やけだ 大漁だ 
 おおばイワシの 大漁だ
 浜はまつりの ようだけど 
 海のなかでは 何万の
 いわしのとむらいするだろう 

山口県萩市を訪れたあと、このさき向かう下関への道路地図を目で追っていて、まったく偶然<金子みすゞ記念館>の小さな文字に目がとまりました。洋上のアルプスとも呼ばれ絶景で有名な青海島のある、以前にも何度か訪れた長門市仙崎の街の中でした。
みすゞが幼少期を過ごした生家の本屋が、大正時代のままそこにあって、それがエントランスに使われています。居間や台所や井戸端など、ひとつひとつの遠い時間の空間にみすゞの童謡がしずかに掲げられていました。
文学的素養のある大人の手によるものではありません。子供の素直な目と、空から優しく見下ろす天使の透視力をもって、すべてのものに宿るこころを紙の上にならべて見せてくれます。
だれもが気付かない道端の景色や空や暮らしを、力みのない子供の言葉で言い当て、そして最後のひとこと、最後の数行で澱んだ世界をひっくり返してみせてくれます。

 「あそぼう」っていうと   「あそぼう」っていう
 「ばか」っていうと     「ばか」っていう
 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう
  そうして あとで  さみしくなって
 「ごめんね」っていうと   「ごめんね」っていう
  こだまでしょうか      いいえ だれでも

26歳で娘を残して死ぬまで、500編以上も残していった金子みすゞの童謡を知ってから、今でも足が地上から2センチほど浮いているような気がします。そんな自分に気付いたとき、いくつかのみすずの童謡を思い浮かべて、またちょっと心のやすらぎをもらうのです。

 ・・・みんなちがって みんないい・・・