<死ぬまでにやっておきたい10の事柄>

リビングウィルについて書かれた本にそんなタイトルの一文があった。

自分が過ごしてきた人生のまとめを考え、やり残した気掛かりなことや、ずっと願い続けていることなどを思いきって実現させることは、満足して死を迎えるうえでとても大切だ。しかもまだ健康でからだも動くうちにでなければならないし、死を目の前にしてからでは全てが遅い。もしかしたらアクシデントが無いとも限らないのだから・・。

たしかそんな内容の提言だったと思う。だからという訳ではないし、10項目を考えてみたことも無いのだが、いま自分がやろうとしていることはその一つと言えなくもない気がしている。

40年前に世話になった人を探して会ってみたいと思い立った。
当時、カナダ・アルバータ州カルガリーに在住だった、Joe Tsukishimaがその人だ。
初めて逢ったのはお互いに旅行中だったバンクーバーのモーテルでのこと。ノックにこたえてドアを開けたところにいたのがジョー・ファミリーだった。自身が日系3世のJoeはフロントで日本からクルマを持ってきたカップルが泊まっていると聞き、親近感を持ったのかもしれない。みんなでプールで遊びながら、なにか困ったことや役に立てることはないか聞かれ、これから走るアラスカハイウェイの情報をもらったりして楽しく過ごした想い出がある。
翌朝起きて外に出ると、クルマのワイパーに自宅住所と電話を書き込んだ地図を挟んで、すでに彼等は旅立った後だった。
次に逢ったのはほぼ1ヶ月後。アラスカから南下の途中、カルガリーの自宅を訪ね、お互いにおぼつかない日本語と英語ながら、2日ほど夜の更けるのも忘れるほど歓待してもらったことを想い出す。日本に行ったことのない彼等に、着物や食べ物や畳のことを教え、先の大戦では米国だけではなくカナダの日系人社会も内陸への強制移住があったことを学んだ。また、薦められてレスブリッジの日本庭園やウオータートン国立公園に行ったのも良い想い出だ。まるで日本人のように控えめな奥様の名前は失念したが、小学生の息子グレンと活発で可愛い娘のリエンのことも忘れられない。ずっと後に我が家で飼った牝のハスキー犬にもリエンと名付けさせてもらった。

帰国後に何度か手紙等のやりとりがあったのだが、数年後から郵便物が宛先不明で戻ってくるようになり、こちらも転居して音信が途絶えてしまった。その頃、北海道とアルバータが姉妹州になったこともあり、道庁などに人探しを頼んだこともあったのだが、今のような情報社会ではなく、もう無理だと思い込むことで諦めていた。

たまたま、来週から40年ぶりにカナダを訪問することになり、もともと予定には無かった事だが、カルガリーでの時間を使ってもし会うことが出来たらと俄に思い立った。
ジョーも子供達も相応の年齢になっているはずだし、カルガリーにいるかどうかも判らないが、もしかしたら何か知っている人がいるかもしれない。インターネットを通じて、カルガリー日系人コミュニティーで作られているサイトの掲示板に要項を掲載してもらうことになった。何かのレスがあれば何処にいてもメールで情報を受け取れることになっている。

長い間ずっと記憶の奥でくすぶっていたことが、結果はどうあれ、ひとつの結論を得られることになればもう云うことはない。