最後の1台

1996年から作り続けてきたスノーシューですが、その製作をやめてから今年で3年目になりました。
これまでにおよそ1万台を作りましたが、多くは今でも各地で使われているようです。
「せっかく普及してきたんだから、なにも止めなくても。」との声も頂きましたが、作ろうと思い立った時と同様に、止めようと考えるようになったのにも理由がありました。

そもそもはといえば、当時アメリカから輸入されるようになったスノーシューは高価だったので、自分用に作って履いて歩きまわったのがきっかけでした。そのうちにこのツールが持っている広い汎用性に気付きます。アウトドア誌でニューアイテムとして紹介されていたからかも知れませんが、その頃のシェアの大半は雪国ではなく首都圏などの都市部の新し物好きや道具マニアが占めていました。使う人を雪上に誘うという意味では同じようなことでしょうが、北海道では加えて生活用具としての側面に大きな可能性もあり、閉鎖的になりがちな北国の冬に解放感をもたらしてくれる道具だという発見がありました。札幌オリンピックの後に起こった歩くスキーブームは10年ちょっとで勢いを失くし、一般の人々にとって道路以外の雪の上に踏み出すということが無くなってきていたのです。

スノーシューそれ自体が遊び道具ではありませんが、大きな接地面が生み出す浮力はまるで忍者の水蜘蛛のように雪上の自由を提示してくれます。夏場には絶対に入り込むことの無い笹ヤブやブッシュも雪の下になった冬なら別世界ですし、両手が自由になることから、写真撮影、測量、調査等をはじめ、林業や農業、また自然観察などの利用が短時間のうちに拡がりました。振り返ってみると、この20年余りの間に状況もずいぶん変化して来ました。それまで雪に深く埋まりながらワカンを使っていた山岳救助隊がスノーシューに切り替えたり、長野オリンピックで撮影機材のセッティングに使ってくれたりと、振り返ってみると、この20年余りの間に状況もずいぶん変化して来ました。

当時は珍しかったこともあってメデイアの取材も多く、必ず<西洋カンジキ>と書かれたものですが、今ではスノーシューも市民権を得て一般的用語となり、中国で大量生産されてホームセンターでも安価に販売されるようになりました。
このあたりが自分で考える一線でした。もう我々の役割は終えたと思います。

要望があってパーツが間に合ううちは各タイプを作ってきましたが、とうとうこれが最後の1台となりました。
これからも可能な限り修理の依頼に応じていこうと思っています。うれしいことですので・・。