どろがめ先生の想い出

 

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雪の中に散らばる無数の黒い点・・。

畳んだダンボール箱を整理していた時のこと、パラパラパラと何百匹もの虫が落ちてきた。ダンボールの隙間に集団で冬眠していたカメムシたちだ。去年の夏に大発生したオオカメムシやスコットカメムシなど数種類が、ビッシリ躰を寄せ合って冬の寒さを凌いでいる最中だったようだ。

落下を免れて隙間に残っていたヤツらは、またそっと畳んで元の場所に戻してみた。雪の中のヤツらは仮死状態で動かないが、死んでいる訳ではないので指でつまむとあの強烈なニオイが漂う。雪を払い落として拾い集めたとしても、ふたたび春に目覚めるのは無理だろう。かわいそうだが大量虐殺の現場はそのまま手を着けずに保存する。

 

カメムシを見るたび想い出すのは今は亡きどろがめ先生だ。一度も教壇に立ったことのない東大名誉教授として有名な東大富良野演習林の高橋延清先生は、自ら<どろがめ>と称し、聞き手を引き込む独特の話術が得意なおじいさんだった。

20年以上も前になるが、ホタルに関するシンポジウムが道新ホールで開かれ、どろがめ先生に自由なテーマで講演を依頼した時のこと。畳敷きの楽屋で長机に寄りかかり、差し入れの日本酒を秘書の女性のお酌でコップに口をもっていきながら柔和な顔でチビチビと。雪氷学で有名なお兄さんの高橋嘉平さんの話を振ると、「そうそう。よく知ってるね。」と、頷きながらご機嫌そうだったことを想い出す。

出番の知らせが来ると先生は赤ら顔にバンダナを巻いてステージ裏へ、我々は客席にまわって講演を聞くことに。ややあって、上手のそであたりからズシンと何かが落ちたような音。長い間をおいてそれが二度三度。先生の姿が見えてくると、その大きな音は大股でステージの床を踏みつける音。ドシンドシンと踏み鳴らしつつそのまま下手まで。そしてよろめきながら戻ってくると今度は大きな声で「カメムシさん!カメムシさん!」「クマゲラクマゲラ君!」。満員の聴衆は呆気にとられ何が起きているのか俄かには理解できない様子。話としては、演習林を舞台に擬人化した生き物たちの話で、カメムシやミミズのような嫌われ者だって自然の中では大切な役割がある・・といった内容だったように記憶している。いや、今となってはそれすらも曖昧だ。

結構な酒がからだに入っていたことを知っていたからこそ、足どりが心配だったこと、登場の仕方がショッキングだったこと、それにも増して大声のカメムシ連呼が耳の奥に残っていて、カメムシを見るたびにどろがめ先生を想い出す。