エンディングノートとリビングウィル

ひと月ほど前、同居していた母親が亡くなった。

3年前に食道がんが見つかり、年齢のこともあって手術はしないと自分で覚悟を決めた。いつかは来るその日を少しでも悔いなく迎えるために、それまでボチボチだった終活が忙しくなった。自分自身や亡くなった父親との思い出が詰まってはいても、捨てるものは思い切って処分し、もらってくれる人があればせっせと荷造りして発送。「そんなの置いとけば後で俺たちがやるから、そんなに動き回ったら具合が悪くなるよ。」周りの心配を聞き流し、同時に遺書を書き直すとエンディングノートリビングウィルも墨書し始めたようだった。

金庫の鍵はどこどこで、中にある遺書は私が死んだら兄弟で見てほしい。生命保険や年金の証書もそこにある。生前お世話になった人や親しい人に書いたお別れの手紙の束には、全て切手が貼ってあるから投函してくれればいい。葬儀は出来るだけ質素で誰にも知らせず、必要なお金は封筒に入れてある。

何度も加筆した様子のあるエンディングノートは、いつも座っているイスの後ろの引き出しに入れてあった。

手術をしないと決めた時から、治療はせず苦痛のみを和らげる緩和ケアに掛かることになった。死に向かい、死を迎えるにあたって自分がどうありたいかも同時に考えることになり、リビングウィルを書き留めることになる。どれだけの時間考えを巡らせたのか今となっては知る由もないが。もし意識が無くなっても、胃ろうや点滴は受け入れない。余りの苦痛に苛まれるようなら鎮痛薬だけは使ってほしい。

そんな医者に対するお願いを書き終わった6月になって、いよいよ食道が完全に塞がり、食物はおろか水分さえも通らなくなった。体重も20kg以上減少し、氷をなめても体内に入らないから、水分だけでも点滴で摂らないと激しい苦痛になるとの説明でそれを受けることになる。その時点では我々家族も敢えて反対する気にもならず、ごく自然な流れで点滴を始めたのだが、死期を伸ばすことになったかもしれない分、余分な苦しさを味合わせてしまったのかとの疑問も拭いきれない。

入院から2週間余り。最後の二日こそ意識が朦朧としてきたが、それまでは会いに行く度に微かな声で「ありがとう」を繰り返し、こちらがそれを言いたいのを聞き取ることなしに旅立ってしまった。

遠からず自分にも来るその日を、この母のように迎えられるだろうか。