湖畔にて

友人からの誘いで30年ぶりに湖畔のキャンプ場へ出かけてきました。

f:id:norlite_designs:20190628185103j:plain

巨木の森をうねうねと通り抜けた先の、静かな水辺にひろがるキャンプ場は、当時としてはめずらしく車で入れるうえに細かい制約がなく、半世紀前にはすでに美笛キャンプ場としてキャンパー達から相当な支持を得ていました。

我が家も子供たちがそれぞれ忙しくなるまでは、立ち木の位置まで把握するほど足繁く通ったものでした。

記憶に残る最後の回は、暗くなってから隣に大勢の人達が陣取り、トラックで運んだ足場でステージを組み、大音量でカラオケ大会を始めたものでした。子供達の手前思い切って抗議をしましたが多勢に無勢で相手にされず、管理人に訴えるも注意さえしてくれずに尻込みされ、憤まんを抱えたまま夜中にそこを引き払って暗い山中の沢沿いに止めたキャンパーで寝たことを想い出します。

その後、湖畔を一周する道路の札幌側の一部が通行止めとなり、かなりの遠回りを強いられるようになって、自然と足も遠のいていきました。3年前に空知や日高を襲った豪雨の際には、このキャンプ場も地形が変わるほど激流に傷められ大量の流木に覆われて1年間の休業を余儀なくされたようです。

再開後も人気は衰えず、毎週末のチェックイン時には行列ができるそうです。

しばらく敬遠している間に、古い管理棟が小洒落たログハウスに建て替わり、アンモニア臭で目が痛くなるほどだったボットントイレも清潔な水洗式になりました。

そして何より、一晩だけの印象ですし上から目線ではありますが、利用者がオトナになって清しさや静けさを大事にしているように感じます。

そのうち、孫たちを連れて来るのもいいなと日の出前の湖畔に立って思いました。

半年ぶり。でもまた焚き火!

f:id:norlite_designs:20190628200022j:plain

以前使っていたブログが1月に終了となり、半年ぶりに再開しようとしたら期せずしてまた焚き火の画像。よっぽど好きかと思われそうですがそういう訳ではありません。いや、ほんとはやっぱりこうした小さなイベントが好きなのかも。

 

半年近くも書き込みをしないでいると、何かをどこかに置き忘れているような、それでいて何をするにも億劫な、そんな日々を過ぎ去らせて来たように思います。インスタグラムやツイッターには縁が無く、Facebookに登録こそしたものの使い方が判らない、否、知ろうとしないと言った方が正確かもしれません。

 

この半年の間、工房の周辺でもいろんな変化がありました。2頭の子連れの熊や若い個体を頻繁に見かけましたし、見落としようがないほどたくさんの痕跡が濃厚にその命の存在を主張しています。今年もアオダイショウの交尾を2度ほど見かけましたし、大事に笹薮の中で育てているギョウジャニンニクを鹿に食べられたりもしました。ほかにも、雪解けが異常に早かったり、フェーンのせいもあって5月に猛暑日があったりと、そこそこ気になる出来事がありましたが、何も記録がなければいずれ忘却が覆い被さってくるでしょう。

ブログを休んでいる間に、心配したり残念がったりして言葉を掛けて下さった皆さんありがとうございました。気負わず力まず、ボチボチとまた日記代わりを記してみます。

冬のキャンプ

冬のキャンプは焚き火がありがたい。というより、焚き火がなければ成り立たない。

なんとなく取材の為のキャンプをすることになった。
正直なところ、冬場の呑み会は建物の中で蒔ストーブを囲みながらというのが定番なのだが、焚き火を熾すとつい寒さを背にして手をかざしてしまう。そればかりか、その火を真ん中にしてイスを引き寄せ、誰とはなく座り込んでビールのプルリングに指先をかける。

撮影を手みじかに済ませ、役目の終わった焚き火だが、揺らめき昇る炎に視線を吸い寄せられる。

こんな時だ。イスの背もたれに寄り掛かりながらうっすら思う。「ああ、薪を作っといて良かった。また来年用も作らねば、、」

ミスマッチ!

ものには相場というものがある。
原材料価格と製造コスト、それと流通・販売の手数料、さらに応分の利益を加えたものが適正価格ということであれば、この子供用のソリは明らかにその枠組みから外れている。

そもそもが製品にするつもりなどほとんど無く、我が孫たちを乗っけてやりたい想いだけで作業を進めてしまったのだ。ただハンドルだけをつけた手押しソリから、4点式シートベルトや風防付きのカウル、それに雪の無いところではカートにもなるキャスターをセットしてなかなか面白いものが出来た。

何台か作って身近な人に使わせているくらいの時点では、いくら手間が掛かっても笑顔をみているだけで良かったが、販売店の店長にこれを販売する話を持ちかけられたときにハタと気がついた。これをまともな工賃や手数料を加えた設定とすると、10万円を大きく超える販売価格になる。
それでも本当に良いもの、ほかに無いものは高価でも欲しい人が必ず居るというが、根がビンボー人の自分的にはたかがソリと思えば罪悪感さえ感じてあり得ない価格だし、もし金があっても絶対に買わない。

「どうせこんなもの店に置いたって買う人なんかいないし、まあ展示スペースが面白くなるだけでもいいか。」とタカを括ってやってみることにした。
常識を度外視して手間賃は赤字でも良しとし、店側にも薄い利益で販売価格を設定してもらった。

以来5シーズンが過ぎ、意外と言ってはオーダー頂いた方に失礼だが、毎年何台か注文をいただく。
小さくてもシーカヤックを作るのと同じような手間が掛かるし、全てカラーオーダーによる受注生産なので即応スタイルはとれないが、手元に届いたときの注文主(これに乗せられる幼児ではなく、ご両親やおじいちゃんおばあちゃん)の笑顔がありがたい。

「ウオッ!スゲ〜!こんなの見たことない!ソリのランボルギーニだ!!」
「◯◯ちゃん、良かったねー。これに乗ってお買い物に行くんだよ〜。」

気持ちのどこかで注文が来ないことを願いつつではあるが、まあ、特別な笑顔がもらえたと思うことにしよう!

ミナミタラバ!再び・・

平成最後の年越しと繰り返されるから余計にそうなのか、いつにも増してこのところ大晦日というゴールを目的化したようなラジオ通販番組がかまびすしい。
毎日否応無しに耳から入るいろんな告知のなかで、聞く度に不愉快になる商材がある。
・・・・・・
このあと30行ほど書き進めてから、ふと気になって昨年の文章を確かめてみた。(2017年12月23日記)

一言一句とは言わないが、まるでおんなじ文章ではないか。まあ、同一人物が書く文だから、似たような内容になるのは当たり前と言えば当たり前。せっかく書いたのに、なんだか徒労感が湧いてきて消去してしまった。

南米パタゴニアの港町、プンタレナスやウシュアイアのメルカードで食べたセントーヤのこと、日本からカラ船で買い付けにくる漁船のことなどを想い出しながら、また来年の年末にも不愉快な思いで聴くことになるのだろうか。
日本のYENと日本人の胃袋が現地のバランスを壊し、それがしっぺ返しにならないことを祈りたい。

窓の外、いつもの冬の朝

エルニーニョの発生や、北極振動のブレが大きいのが原因だとか・・。

初雪が記録的に遅いかとおもえば、12月としては観測開始以来という暖気になったりと、落ち着かない初冬でしたが先週末から真冬日と降雪が続いてやっと本来の冬らしい風景になりました。

静かに冷え込んだ朝、風もないのに梢の雪が柔らかく崩れ落ち、固まった景色に動きを与えます。

梢越しのわずかな陽光でもそれが嬉しい。これからまだ4ヶ月はそんな日が続きます。

初雪?

8月17日、大雪山の黒岳に早い初雪が降ってから3ヶ月。遅れに遅れていた札幌の初雪がやっと観測されました。
11月20日という遅い初雪は明治28年以来、128年ぶりのタイ記録だとか。

昨夜暗くなってからの小雨に、夜半すぎてからミゾレが混じったのを初雪と確認したそうなのです。しかしその程度のミゾレが朝まで残っている訳もなく、うららかな朝日に目覚めたときにはその気配すらすでに消えていました。
気象台発表の記録としては、それに異議を唱えるものではありませんが、自分の中の初雪のイメージとあまりにも違って、これをすんなり認めることはできません。
「降り続く雨が氷雨に変わり、覚えのある静けさに予感と共に目覚めると窓の外は純白の世界」というのが北国の正しい初雪でしょう。どこにも白さが無いのに初雪といわれても・・。


これを書いている午前10時にはもう消えましたが、朝、山の工房に来たときには日影の笹の葉に白い雪が残っていました。札幌の街にはともかく、街よりも幾分気温の低い工房周辺ではこれが遅い初雪ということになるでしょう。