クマとシカそしてアカシア

どんどん進むカレンダーの日付に尻を叩かれつつ日々の仕事をこなしていたら、もう半年が過ぎて7月がすぐそこに・・。

 

5月、例年のように近くの湿地でヒグマの姿を見かけることがなく、少し残念な気持ちもあったが、いつもとは違う道路の反対側の伐採地で5~6回続けて見かけた。フキでも食べていたのか、繁殖期に移動しないところをみると雌だろうか。体長1,5M、100kg以上はありそうだ。

この推測は当たった。6月の初め、体長1Mほどの2歳と思われる子熊が、<羆出没注意>の看板がある道路の上で寝転がっており、こちらに気付くや親のいるほうに駆け下っていった。

今年の3月末には、札幌の住宅地から400M  の登山道近くで冬ごもり穴を調べようとした調査員が、母熊のアタックをうけてケガをする事故があった。

すごい勢いで繁茂する枝葉に隠されて、この親子を道路から見かけることはできなくなったが、ここから1km弱の住宅地に近づくことなく、この周辺でのんびり暮らしてくれることを祈りたい。

 

これまでに経験がないことだが、たのしみに見守っていたウドがエゾシカに食われてしまった。植えたわけではなく工房の周りに自然に生えた株だが、20年ほど前から毎年天ぷらや酢味噌和えで美味しくいただいていたものだ。シカがウドを食うとはこれまで聞いたことも見たこともない。根まで掘り返しているわけではないが、葉っぱも地上部の固い茎も全て食い尽くされた。

この様子を落胆して見つめていて気が付いたのだが、周辺のオオイタドリの葉も全滅状態だ。さすがに竹のような茎は食われていないが、柔らかい葉を下まで全部食べ尽くし、何かのまじないのように1Mほどのところから先を何百本も折っている。

3Mほどまで伸びて、まるで竹林のような暗い藪が今年はできない。

 

3年ぶりのYOSAKOIが終わり、やはり3年ぶりのさっぽろ祭りも終わって、今の北海道は街路も河畔も山地も満開のニセアカシアに覆われる。異常なほどに多い花房にとって、枝や幹を折る雨の重さと風の強さは大敵だ。いまのところ天気の大きな崩れはなさそうだが、そうなれば今度はミツバチたちの過労死が心配になる。

今年も・・。

二月の末に突然始まった世界を二分する戦争は、桜の便りを聞いて五月を迎えようとするのに、全く治まる気配を見せていません。

工房の手前にある道際の湿地は今年も水芭蕉の白に覆われています。毎年この白さに触れ、それを誰かに伝えたいとは思うのですが、同じような記事の繰り返しになって新鮮な空気を思いつきません。

 

以下に、ちょうど10年前の今日の記事をコピペします。

2012/4/28 心が少しだけ軽くなります。


くぐもった冬景色を見慣れた眼に、この明るさはなんということでしょう。
工房の手前100Mほどの道沿いにある湿地に、ミズバショウが開きました。冬のあいだ、気付かずにこびりついていた寒さと暗さの心の垢が、ウェディングドレスのような仏炎包の白さにそぎ落とされます。
この湿地(北海道では通常やち<谷地>と呼ばれる)が湿地らしいのは今の時期だけ。
小さな雪解け水の水溜りは、おたまじゃくしが蛙になるころには水草で覆われ、やがて背丈を越すほどの一面のヨシ原にかわります。

オーバースライダー

若い頃には考えもしなかったことですが、カナディアンやW艇を車載するときに体力の衰えを感じるようになり、数年前からときどきもっと楽にカートップできないかと思うようになりました。

自家用のカヤックなら多少こすっても押し上げても平気なんですが、製品となると細心の注意が必要です。工房の柱に簡単なクレーンをしつらえて、吊り上げておいてからクルマを下に入れて積み込む方式に変えてはみましたが、風が吹くと壁にぶつかったり養生に時間が掛かったりと、やっぱり一人ではうまくいきません。

 

以前からその存在を知ってはいたのですが、クルマを乗り換えるタイミングに合わせて、オーバースライダーという車載用のキャリアアタッチメントを採用することにしました。

画像のように引き下ろしたフレームに腰の位置まで持ち上げて固定し、あとは車の上にずらして止めるだけ。

力任せでカートップできていた頃と比べれば、やっぱり少し時間が掛かりますが、まあ、らくちんで安全だと思えば良しとしましょう。

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代理戦争

プーチンが暴挙に踏み出してからひと月半。

ウクライナ側の予期せぬ抵抗に、ロシア側は当初の計画の見直しを余儀なくされ、キーウ周辺からベラルーシへ撤退。と同時に民間人に対するおぞましい蛮行が明るみに出て、世界中のメディアが四六時中それを伝える。言葉を失うショッキングな映像に、国連の人権理事会は多数の賛成をもってロシアを排除したが、プーチンに戦争そのものを止めさせることは誰にもできない。

声高に非難する西側諸国に同調して民主主義を標榜する国は多く、国連加盟の過半数が非難決議に賛成するが、漁夫の利を待つ中国をはじめとする一部の国は制裁に反対する。プーチンの顔色をうかがいながら反対や棄権に回る国は、その数こそ少ないが、人口規模では賛成各国を上回る。

核戦争は避けねばならぬと西側は言うが、ロシアの圧倒的軍事力の前に、ウクライナは手持ちの通常兵器だけで抵抗するしかない。ゼレンスキーは好んで西側の代表をやっている訳ではないのだ。

世界は大きく割れてしまった。両陣営の軍備はますます拡充されるだろうし、経済圏も二極化が進むだろう。この世界が2022年2月24日以前に戻ることは無い。

 

太陽の光は強さを増し、積雪がどんどん下がってきているのを確かめたくておもてに出てみた。

天空のどこかから「こぅこぅ」と微かな声。眩しい青空に目を凝らすと、高いところに楔型を乱さず北を目指すハクチョウの群れ。これから宮島沼やクッチャロ湖でしばし休んだ後、彼らが繁殖のために目指すロシアは、きっと静かな楽園だと思いたい。

見らさる

見らさる・・・若い人や道民以外には伝わらないだろうが、うまく説明し難いニュアンスを含んだ便利な北海道の方言である。

意思に反して見てしまうとか、さして見たい訳ではないが強制的に見せられる、といった強い反意語ではない。「見るつもりはないけど誘惑に負けてなんとなく見続けてしまう」という程度の、行動の背後にある曖昧な雰囲気を上手に丸めて収めた、慣れるとつい使ってしまう北海道弁だ。

「内臓脂肪を気にしてるのについ箸が出て食べらさる」「気分がいいとどうしてもとことん呑まさるべや」「禁煙してるのに誰もいないところだとやっぱりつい吸わさるんだわ」「夏休みも残り僅かになったのに宿題に手が付かず、夜遅くまでTVゲームで遊ばさる」といった感じで、人によってはこれを多用する。

 

先月24日にプーチンのロシアがウクライナに侵攻してから、昼となく夜となくおぞましい爆撃の状況が伝えられる。国連の臨時総会でもNOを表明した141か国をはじめ、棄権した35か国であっても、ロシアやベラルーシ以外、プーチンに正義があるという国はない。ロシアの国内にあっても報道統制が敷かれ、戦争反対のデモ参加者が13000人も逮捕され、かつてない経済制裁が発動されたというのに全く世界の声を無視し続ける。殿ご乱心である。裸の王様に進言する者もない。冷徹な皇帝として、気に入らない者は国境など関係なく毒を盛ったり射殺して消してきた。22年間の独裁で、世界を敵に回しても欲しいものは力で盗れるという夢に溺れているいるかのよう。

SNSの動画を交え、絶え間ない報道はいやでも関心を刺激される。そう、ちょっとした時間でも状況が気に掛かり、テレビのリモコンについ手が伸ばしてニュースやワイドショウを見らさるのだ。

 

想い返すと、TVの前でこうした時間を過ごしたことが何度もある。古くは浅間山荘事件、チェルノブイリ原発事故、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件東日本大震災、フクシマ原発事故、それから、フセイン核兵器を持っていると世界を騙して、クラスター爆弾劣化ウラン弾を花火のようにイラクに降らせたブッシュのアメリカだ。

超ハイルーフ

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3日間続いた暴風雪がやっと静まった。
1,6Mの積雪というが連日の除雪。ここに移ってから30年の記憶をたどれば2番目か3番目。ここ2~3年は少雪だったので、筋肉疲労がなまった身体によけいに応える。

JRも飛行機も全便欠航、高速は止まるしバスさえも一部運行中止で市内はマヒ。

 

綿帽子といえばソフトなイメージだが、キャンパーの上にも80cmの雪。

がんばって下ろすか。

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どろがめ先生の想い出

 

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雪の中に散らばる無数の黒い点・・。

畳んだダンボール箱を整理していた時のこと、パラパラパラと何百匹もの虫が落ちてきた。ダンボールの隙間に集団で冬眠していたカメムシたちだ。去年の夏に大発生したオオカメムシやスコットカメムシなど数種類が、ビッシリ躰を寄せ合って冬の寒さを凌いでいる最中だったようだ。

落下を免れて隙間に残っていたヤツらは、またそっと畳んで元の場所に戻してみた。雪の中のヤツらは仮死状態で動かないが、死んでいる訳ではないので指でつまむとあの強烈なニオイが漂う。雪を払い落として拾い集めたとしても、ふたたび春に目覚めるのは無理だろう。かわいそうだが大量虐殺の現場はそのまま手を着けずに保存する。

 

カメムシを見るたび想い出すのは今は亡きどろがめ先生だ。一度も教壇に立ったことのない東大名誉教授として有名な東大富良野演習林の高橋延清先生は、自ら<どろがめ>と称し、聞き手を引き込む独特の話術が得意なおじいさんだった。

20年以上も前になるが、ホタルに関するシンポジウムが道新ホールで開かれ、どろがめ先生に自由なテーマで講演を依頼した時のこと。畳敷きの楽屋で長机に寄りかかり、差し入れの日本酒を秘書の女性のお酌でコップに口をもっていきながら柔和な顔でチビチビと。雪氷学で有名なお兄さんの高橋嘉平さんの話を振ると、「そうそう。よく知ってるね。」と、頷きながらご機嫌そうだったことを想い出す。

出番の知らせが来ると先生は赤ら顔にバンダナを巻いてステージ裏へ、我々は客席にまわって講演を聞くことに。ややあって、上手のそであたりからズシンと何かが落ちたような音。長い間をおいてそれが二度三度。先生の姿が見えてくると、その大きな音は大股でステージの床を踏みつける音。ドシンドシンと踏み鳴らしつつそのまま下手まで。そしてよろめきながら戻ってくると今度は大きな声で「カメムシさん!カメムシさん!」「クマゲラクマゲラ君!」。満員の聴衆は呆気にとられ何が起きているのか俄かには理解できない様子。話としては、演習林を舞台に擬人化した生き物たちの話で、カメムシやミミズのような嫌われ者だって自然の中では大切な役割がある・・といった内容だったように記憶している。いや、今となってはそれすらも曖昧だ。

結構な酒がからだに入っていたことを知っていたからこそ、足どりが心配だったこと、登場の仕方がショッキングだったこと、それにも増して大声のカメムシ連呼が耳の奥に残っていて、カメムシを見るたびにどろがめ先生を想い出す。