いなむら一志


窓の外には冷たく乾いた雪が降っている。 全く音の無い空気の中、ただワシワシと降り積もる。

今月初めに64才で亡くなったシンガーソングライターの<いなむら一志を送る会>が昨晩ススキノで開かれ、主のいないコンサートに出かけてきた。
稲村さんとは、20年近く前に数年間、TVのアウトドア番組を一緒にやったのが縁だった。番組の絡みながら、わが工房でカヌーやソリを作ったり、山菜を採って食べたりしたことを今でも鮮明に想い出す。歌うときと違ってふだんの話し声は意外と低いのだが、その渋い声や口調もはっきり耳に残っている。
住居とは別に、岩見沢市郊外の山の中に小屋を建て、そこをスタジオとして自力で作り上げていて、時間ができると出かけては困難を楽しみながら暮らしていたようだ。何年も前からその建物や設備のことで、「いろいろ相談に乗って欲しいから来てくれよ」と言われていたのだが、その約束を果たすことができないままになってしまって申し訳ない。
くも膜下出血だったそうだ。知人がそのスタジオで発見した時には、新曲<二月の匂い>のレコーディング作業のまま独り冷たくなっていたという。

64才のアーティストの不幸が年明けに続いた。ザ・ランチャーズのべーシストで、中島みゆき山崎ハコの制作ディレクターだったポニーキャニオンの渡邊有三氏。シンガーソングライターというには、コメンテーターやプロデューサーとしてあまりに多才だったやしきたかじん氏。
23年生まれと言えば団塊の世代どまんなか。
「あまりに早すぎる死」とのコメントが並ぶが、故人たちはどう思っているのだろう。
「まだまだやれる」という気持ちがもしあったとしても、歩いてきた人生に悔いることは無かったに違いない。