窓の外、いつもの冬の朝

エルニーニョの発生や、北極振動のブレが大きいのが原因だとか・・。

初雪が記録的に遅いかとおもえば、12月としては観測開始以来という暖気になったりと、落ち着かない初冬でしたが先週末から真冬日と降雪が続いてやっと本来の冬らしい風景になりました。

静かに冷え込んだ朝、風もないのに梢の雪が柔らかく崩れ落ち、固まった景色に動きを与えます。

梢越しのわずかな陽光でもそれが嬉しい。これからまだ4ヶ月はそんな日が続きます。

初雪?

8月17日、大雪山の黒岳に早い初雪が降ってから3ヶ月。遅れに遅れていた札幌の初雪がやっと観測されました。
11月20日という遅い初雪は明治28年以来、128年ぶりのタイ記録だとか。

昨夜暗くなってからの小雨に、夜半すぎてからミゾレが混じったのを初雪と確認したそうなのです。しかしその程度のミゾレが朝まで残っている訳もなく、うららかな朝日に目覚めたときにはその気配すらすでに消えていました。
気象台発表の記録としては、それに異議を唱えるものではありませんが、自分の中の初雪のイメージとあまりにも違って、これをすんなり認めることはできません。
「降り続く雨が氷雨に変わり、覚えのある静けさに予感と共に目覚めると窓の外は純白の世界」というのが北国の正しい初雪でしょう。どこにも白さが無いのに初雪といわれても・・。


これを書いている午前10時にはもう消えましたが、朝、山の工房に来たときには日影の笹の葉に白い雪が残っていました。札幌の街にはともかく、街よりも幾分気温の低い工房周辺ではこれが遅い初雪ということになるでしょう。

ふしぎ

      ふしぎ

   わたしはふしぎでたまらない、
   黒い雲からふる雨が、
   銀にひかっていることが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   あおい桑の葉たべている、
   かいこが白くなることが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   たれもいじらぬ夕顔が、
   ひとりでぱらりと開くのが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   たれにきいてもわらってて、
   あたりまえだ、ということが。

        金子 みすゞ


   わたしはふしぎでたまらない、
   森友・加計も原発も、
   みんな忘れてしまったか。

   わたしはふしぎでたまらない、
   記者を叩いて気を晴らす、
   シリアやクルドは見もせずに。

   ふしぎなことが多すぎる・・・・・

無意根山光る

ここ2週間以上、毎朝の通勤途中に向ける視線の先で、まったく姿を見せなかった無意根が白く光って現れた。

北海道のこの秋は暖かい日が続いて、平年は札幌の初雪が10月28日だというニュースの情報にも真実味が無い。
早い年なら9月の後半に白い姿を見せる無意根山だが、やはり遅かったのだろう。近くを走る国道の峠情報では何度か雪模様が伝えられていたから、下界から見えない間にも何度か山頂を白くしていたことは想像に難く無い。

北から南に続くなだらかな稜線を見ながら、今頃あそこはどんな状況かとふと考えた。
夏道は雪の下だしとてもツボでは歩けない、もう少し雪が締まらないと笹やハイマツに足を取られてスキーでも歩けない。
想い巡らせても初冬のこの時期にあそこを歩いたことがない。
「おそらく・・・、きっと・・・。」と、難儀しながら登る自分を想像するが、ひとつ深いため息で我に返る。

体力も気力も衰えたいま、もう冬にあの稜線を辿ることはないだろう。
ただ、そこにあることが自分にはうれしい。

1kmのサファリ

宅配便のおばちゃんが、いつもよりちょっとだけ高揚したトーンで話しかけてきました。
「すぐそこにおっきなシカがいるよ!近づいても逃げないのさア。こ〜んな角でおっかないよね。」
今週あたまの呑み会に暗くなってから到着したM氏も、「タヌキがいましたよ。」・・と。

毎日ではありませんが、工房から国道沿いの団地までの1kmちょっとの山道では、いろんな野生動物によく出くわします。

数日前に暗くなってから家路に付いたときにも、道路に出てすぐにいつものエゾタヌキのファミリーに出会いました。今年は3頭の子連れで、母ダヌキとあわせて4頭がときどき人間様の作った道を利用します。ただでさえシャープさに欠ける動きの4頭のエゾタヌキが、クルマの行く手で右往左往。ゆっくりゆっくりクルマを進めながら、ハンドルにあごをのせるようにしてモコモコ走りまわる様を見せてもらいます。

やがて右側の笹薮に4つのモコモコが吸い込まれるように消えると、同じ右手の30メートルほど先にオスのエゾシカの立ち姿が・・。ヘッドライトに照らされた周囲の中で、ひときわ目立つ薄緑色の二つの眼光。
こちらを確かめるようにジッと見つめ、2〜3秒後、迷惑そうな緩慢な動きでヤブの中へきびすを返しました。

それから2百メートルほど進むと今度は前を行くキタキツネの姿。軽快なトロットのリズムをちょっと落として後ろを振り向くと、こんどは道なりに猛ダッシュです。イジワルする気はないのですが、ついついアクセルを踏んでついて行ってしまいます。後ろから追い立てるようなかたちになってすまない思いもチョットだけ。

ほかにもこの時期のこの道路上は、昼間ならエゾリスがあわてて横切り、夜遅くなれば道際の低い位置でアライグマの目が光ります。
極めつけは春先に見かけるヒグマでしょう。今年も三度ほど見かけましたが、こいつに逢うとそのあと何日かはほっこりしたおもいで過ごせます。

たった1kmほどの山道ですが、見方によっては無料でサファリを楽しんでいるようなものかも知れません。

これを書いている今も、道路の向こうの沢あたりから、ピ〜〜〜〜ユ〜ウ!と、牡鹿の声が聞こえて来ます。

秋の陽は

「秋の陽は釣瓶落とし」とはよく言ったものです。

仕事を終えて家路についたとき、車窓から水平に差し込む光線が左側の頬を突いたのです。
今まさに山の向こうに沈もうとしている紅い太陽を写真に撮ろうとブレーキを踏み、10メートルほどバックしてリアシートのカメラに手を伸ばし、キャップをはずしてレンズを向けたときには紅い火の玉の姿はすでに無し。
悔し紛れに押したシャッターは、インパクトの無いただの平坦な夕焼け画像でした。

秋のお彼岸を過ぎ、このところ日照時間も相当の勢いで短くなっています。
雪虫がフワフワと漂い、エゾリスも忙しく走り回って、近づく冬を知らせてくれています。

季節の中で

月初めには台風や地震が続いて、バタバタとしているうちに2週間ほどがスポイルされたような感じですが、このところいつもの秋が少しずつ深まってきました。
大雪山では思いがけず一ヶ月も早く8月の末に初雪を見ましたが、昨日は旭岳の初冠雪が観測されました。紅葉の盛りは標高を下げて、銀泉台行きのシャトルバスは運行を終え、高原温泉行きに行き先を変えました。

そんな各地の便りを聞きながら、今年はなぜか季節の中に浮かびながら一緒に流されているような感じがしています。季節に追いまくられる訳でもなく、かといって置き去りにされている訳でもなく、だんだん涼やかになる空気の中で浮遊している、そんな感じです。

ちょっとだけ時間を作って、普段あまり縁の無い、札幌の北の郊外に出かけてみました。
30年以上前に訪れたきりで記憶もおぼろな<百合が原公園>は、当たり前ですが、昔と同じ場所にありました。


名前にあるようにこの公園を代表する百合の花はすべて花弁を落とし、菊には早いこの時期に咲いている花はバラとダリアくらいのものでしょうか。

カヤックなど、製品を作るときによく使うグラデーション技法ですが、もの言わぬ花たちの静かな主張には、ちょっと嫉妬を覚えてしまいます。