ブラックアウト

庭から見上げる夜空は、これまで見たことがないほど不気味に美しかった。家々の明かりも街灯も、遠くの高層ビルで瞬く赤い点滅灯さえも消えて、190万都市札幌が夜の闇の底に沈んでしまった。全ての人工の光りが失せた北海道の上空からは、無数の星が眩しいくらいに地上を照らしつけ、ふだんは薄黒くしか感じられない雲が、星空に白く浮かびながらゆっくり流れて行った。

9月6日、夜中の3時8分にその地震は起きた。
砕石工場の巨大なフルイに突然投げ込まれたような衝撃に、跳ね起きると同時に暗闇のなか枕元のタンスを押さえる。タンス自体は金具で壁に固定してあるが、上方3〜4段の引き出しが意思でも持っているかのように飛び出そうとする。揺れが納まるとまず電灯をつけて妻と母の無事を確認。
割れた花瓶のガラスを集め、足許に落ちて散らばる何やかやを拾い集めているときにその暗闇が来た。
懐中電灯とラジオを見つけ出し、停電がウチだけなのか、地域全体のことなのか、周囲の状況を確かめようと庭に出たときに冒頭の星空を見ることになる。

その時点でのラジオの速報は、震源が苫小牧東方であること、津波の心配は無いこと、今後しばらくは激しい揺れに注意することと繰り返すばかりで、停電の詳しい状況は判らなかった。
あれだけの激しい揺れならどこかで電線が切れても当然だ。そのうちパッと戻るだろうと思っていたのだが・・。

だんだんと各地からの情報が伝えられ、500万人が暮らし、東西にも南北にも500キロになるこの島の全部が暗闇に包まれていることが明らかになる。
いわゆる丑三つ時で草木も眠っていたとき、飛び起きた全道の家庭でいっせいに電気を点けたせいで発電所のタービンに負荷が掛かり、全ての発電設備が自動停止してしまったのが原因だという。

電池で動くラジオと携帯電話だけは機能するが、テレビやPCをはじめ通信・交通・生産・流通・販売の全てがダウン。明かりの消えたスーパーやコンビニには人の長い列。わずかにあいているガソリンスタンドにもクルマの長い列。頼みのケータイも基地局のバッテリーが消耗したということで通信がきれぎれになってくる。

広範囲のインフラに壊滅的被害が出た訳ではないので、水道もガスも問題なく使えたのだが、昨今流行りのオール電化住宅や高層ビルでは大変なインパクトがあったようだ。
<電気がないと現代社会はこうなる>という見本を見せてでもくれるように、ブラックアウトは社会が徹底的に麻痺して沈み込んだ様相を示してくれた。

幸い2日程度でほぼ通電が再開され、元の穏やかな空気が戻ってきたが、こうしたアクシデントが起こる度に「想定を超えた・・」という言い訳が当事者から臆面もなく語られる。
今回、ダウンのきっかけになったのが火力発電所だったから長くても数週間程度で復活できるというが、これがもし原子力発電所だったらどんなことになっていたか。

暗い宇宙のあらゆる方角から、無数の星たちが瞬きをもって教えてくれているようだ。

吊り橋二題

札幌市を南から北へ貫く、石狩川支流の豊平川。上流域が幾分緩やかになって中流域が始まるあたりに<十五島公園>という河川敷の公園があります。その名にあるように、流れの中から幾つもの岩が島のように顔を出し、渓流の趣を楽しめる古くからの名所として知られています。
初めて立ち寄ったのは今から40数年も前になるでしょうか。
その頃ここは市内の中学校や高校の炊事遠足のお決まりの場所で、札幌の子供達はこの河原で火を熾し、カレーライスやジンギスカンを楽しんだものでした。
ゆとり教育の時代が終わり、そんな賑わいもあまり聞かなくなったようですが、今でも公園の駐車場の一画には売店があり、お休みの日やお天気の良い日には炭とか肉を売っています。

そんな公園の脇を、この四半世紀毎日のように通りながらも、立ち寄った覚えがありません。何年か前にこの公園の中の吊り橋がリニューアルのために工事中だったのを思い出し、気まぐれ半分にのぞいてみました。
人と自転車用の細い吊り橋を渡った流れの向こうには人家が少なく、車社会になった今では生活の為にここを渡る人はありません。まあ河川敷公園のアクセントといったところでしょうか。

こんな橋を見かけると、つい渡ってみたくなるのは何故でしょう。
短い橋ですし、蔦と丸太で作ったような危なっかしいものではありませんが、誰も渡る人がいない橋をゆっくり歩きながら、足裏にフワフワとした懐かしいような優しい感触を覚えました。
体重が掛かった分だけゆっくりと沈み込み、重さが消えるとまた静かに復元する、まるで高層湿原のミズゴケの上を歩いているようです。

想い出しました。ちょうど1年前。バンクーバー郊外のエル・キャピラノ・ハンギングブリッジを渡ったときにもこんな感触でした。

1日に数千人が訪れる観光名所なので、強度充分のしっかりした吊り橋ですが、長いだけあって上下動の振幅が大きく、まるでひと昔前のアクティビティのようでした。
40年前にここを渡った時にも団体旅行の大阪のオバちゃんたちが、同じ日本人の我々に気付くことなく、「ぎゃ〜〜っ!あかんあかん、ゆらさんといてエ!」と大絶叫。今回もやっぱりいかにもアメリカ中西部の田舎から来たような母さんたちが絶叫また絶叫!(何て言ってるかなんて判るわけない、でもこんなときの言葉の中身はおんなじなんでしょうね) 

スマホめ!

(知らなかったなんてことがある訳はないのだが)知らない間に春が夏に変わり、知らないうちに暑さのピークもお盆も通り過ぎて、朝夕の空気は秋の冷たさ。
歳をとると一年が早いのはかなり以前から身にしみているが、自分がもうジジイだと自覚しはじめた頃から加速度的に一年が短くなってきた。

知らないうちと云えば、使っているスマホの画面から知らないうちにLINEやそのほかのアイコンが消えてしまった。電話だけはつながるのだが、その他のアプリケーションはアイコンをタッチしても『インストールされていません』との表示が出て、ことごとく使えなくなってしまった。
情けないことだが、こういう<神のツール>に関しては全く知識が無い。身近な者に聞いてみるが、素人レベルがいくらいじくりまわしても回復しない。

振り返れば前兆は確かにあった。半年くらい前からときどき『内部ストレージがいっぱいです。アプリやデータを削除してください』という表示が出て、おそるおそる保存してあった何枚かの画像や使ったことのないゲームを削除したことがある。しかしそれでもしつこく表示が出るのでコイツを買ったY-mobileの店頭へ持って行って店員に訊くと、もともとビギナー向けなので容量が少ない機種なのだという。

そんなの聞いてないぞ!1年前にガラケーから替えたばっかりじゃん。何でもいいから消せるもん全部消しちゃってくれ!自慢じゃないけど、仕事中は身に付けないし1日1回カエルコールする程度しか使うことないんだ、構わないからぜ〜んぶ削除してくれ!
しばらくブツブツ言いながらいじっていたが、スミマセンを二度ほど背中に聞きながら、釈然としないままその店員にドアまで送られた。

今回、少し怒りを抑えながらまたその店に向かう。いろいろいじってはいたが、今回の店員もやっぱり回復できないらしい。
原因はこういうことだ。最初に入っているアプリ等がストレージの大半を使っているので記憶容量がもともと僅かしかなく、それに加えて勝手にアプリケーションのアップグレードが行われ、自動的に次々アプリが消されて使えなくなった。そういうことらしい。
ハイグレードな機種に替えれば問題は解決するが、それには2年を経過していないので契約の途中解除となり、結構な機種代金の支払いが必要になるという。

おいおい、冗談じゃないぞ!頼みもしないデータを勝手に送り付けて使えなくしたくせに、2年ももたないもの売っといて追加の金を取るってか!
2年経過するまでもうちょっと我慢してやる。でもそのあとは絶対ケータイ会社を替えてやる!

今日、黒岳で初雪が降った。平年より1ヶ月も早い。ああ、山はもう秋だ。早い早い。

デジャヴ?

ひと通り花の時期が終わり、旺盛な緑の勢いに視界のほとんどを占められる夏。
道端の、花房に群れる純白の蝶のような装飾花を見つけてシャッターを押した。


語感も好きなサビタの花だ。
和名はノリウツギで糊空木と書く、その漢字といわれをを確認しようとしてYahooで検索してみた。

上から何番目かに見慣れたNORLITE DESIGNS FROM FACTRYの文字。
「ん・・? オレか? なんで?」
2013年8月9日に同じサビタについて書いていたようだ。
記憶は無いが確かに自分の文章だ。

何だか気持ち悪いが、また同じようなことをなぞって書くのもヘンな気がして、過去の文章に任せることにする。

室蘭で車中泊

先日のこと、かねてより懸案だった<室蘭やきとり>を食いに行こうと急遽思い立った。
<やきとり>とはいうものの鶏肉ではない。
豚の精肉を串に刺して軽く塩を振っただけ。
ネギもアスパラも挟まない。
ただの白い薄切りの精肉にたっぷり辛しを塗って口に運ぶ。
これがウマい!何故かウマい!ビールが進む。
その昔、今は亡きローリー達としこたま喰って呑んだ記憶が忘れられない。

夕方早めに仕事を終え、2時間ほど走って室蘭へ向かい、白鳥大橋たもとの室蘭道の駅<みたら室蘭>にキャンパーを置いて、繁華街までタクシー拾って呑みに行こう。・・これが道中で家人と考えたプラン。

道の駅の駐車場に入ってみたものの、タクシーなんか待ってても全く来そうもない。
しょうがないからどっか街の中まで運転して行くか。
あ〜あ、この時点でノンアル確定。テンション降下気味。
中心街まで行って駐車できそうなところと旨いものを食わせそうな店を探す。
「ええっ!ウッそう」と何度か口をつくほど聞きしに勝るシャッター街
<鉄冷え>と称される鉄鋼不況はここまで厳しいものなのか。

何ブロックか歩いて歩いて、赤い提灯の先の暖簾を押し分け、そこそこ旨いものとやきとりにはありついた。

再び道の駅の駐車場に戻り、隣接した日帰り温泉「ゆらら」で温まり、そのまま車中泊と決め込む。
周りを見回して驚いた。停まっているクルマの半数くらいがキャンパーで、他の乗用車や軽ワゴンも窓の内側に目隠しのアルミマットを立てかけたり、なにやらゴソゴソとインスタントラーメンを作ったりと泊まる気充分の様子。
犬の散歩がてらナンバーを見て歩いてさらに・・? ここはどこ!?
岡山、なにわ、千葉、熊本、富山に高知に鹿児島と。
これみんな口コミサイトの影響か?

アライグマ復活!

幼児の足くらいの大きさで長い指が5本!! 見まちがえようの無い足形だ。
なんてことだ!居なくなったと思っていたのに、やっかいなヤツらが復活した!

このデビルの足跡を残すエイリアン達がこの辺り一帯を支配したのは、今から20年程も前になるだろうか。最近は寄る歳なみでめっきり姿を見かけなくなった近所の通い農家のAさんだが、その頃は色々な作物作りに熱心で、毎日のように足許の土を汗で湿らせていた。そのAさんが顔を合せるとコボしていたものだ。
「やいやア、物置んなかワヤにされたさ!」「とうきびをクマに盗られないようにネット掛けといたんだけど、クマでないやつにガッツリやられた!」「タヌキの子っこみたいだけど顔がとんがっててシッポがシマシマの変なヤツがネットに引っ掛かって死んでるんだわ。」

実際、その当時、道端で瀕死状態の2頭の幼獣を見つけて、道庁の自然保護課に電話してやったこともある。(この時は金曜日で週末を理由に『週明けに保護しに行きますから様子を見ていて下さい』と、こっちがひっくり返るようなことを言われてスッキリしない顛末になってしまった)
それから2〜3年して話題にもならなくなり、この愚連隊のような外来動物にたじろいで姿を消していたエゾタヌキたちも、10年ほど過ぎた頃から時々見かけるようになって、今ではすっかり昔のようにタヌキの親子が平和に暮らす里山が戻ってきたような印象だった。

夜行性のアライグマを昼間に見かけることは滅多にないが、暗い山の中の小さな明かりに引き寄せられるのか、工房のガラス窓にもたくさんの足跡を残している。
そして画像は我が愛艇のオールドシュマールのバウデッキだ。憎む気にはならないが、他の動物の痕跡を見つけた時のようなほのぼの感はあまりないかな。

もの云はぬ客

曇天模様が数日続いていたが、久しぶりに爽やかな朝の太陽を肌に感じながら工房のドアを開ける。
次々にカーテンを開けて部屋に光りを取り込んでゆく。
最後の窓のカーテンを左手で勢いよく引いたときだ。その手首にひんやりとした感触とともに結構な重みが。

手首に乗っかったというかぶら下がったのはかなりな大きさのアオダイショウ! さほど慌てる様子もなく、手の甲にヌラ〜〜っと不思議な触感を残しながら左の頭の方向へ移動をはじめる。手首に感じる重さがだんだん軽くなってくるのは、少しずつシッポの末端に近づいてきたからだ。

このまま自由にさせてはいけない。毒蛇ではない。表に放り出そう。
思い切ってシッポから30cmほどのところを握る。しかしすでに首から先はスチールラックの柱に巻き付き、逃れようとする意思と力をはっきり示してジワジワと棚の奥に軀を移動させる。右手でしっかり掴んでいるのに、いかんせん末端に向かってテーパーがかかり、加えて脱皮したばかりで滑りやすいウロコだ、こちらに勝ち目は無い。
握った手のひらから細いシッポが抜けきった瞬間、視界の右上に別のシッポが・・??
カーテンの上のレールから、さっきのヤツより少し小ぶりなアオさんがシッポを垂らしている。
スルスルと窓ぎわを下がって、10年以上前に飢えたネズミが開けた壁際の穴に消えて行くのを見送った。

毎年、この時期にはこの窓周辺やTVの裏側でコイツらを見かけることが多い。ガラス窓とカーテンの間で温められた空気が上がって来る場所がお気に入りなのだろう。

ゲスの興味は駆け巡る。いまのは既にナニが終わって暖かい場所で弛緩していたのか、それともそれはこれからだったのか?(2012/6/19記)

工房に入り込んだこの美しいウロコの爬虫類はあまりありがたく無い。あちこちの隅っこでネズミの毛が混じったウンコをする。それにときには2メートル近い古着を脱ぎ捨ててゆく。
まあでも、気配はあっても何か悪さをする訳でもないしうるさい訳でもない。好きにさせとくかア。

気配と言えば、今日の朝刊に利尻島民の困惑ぶりが記事になっていた。羆が海を泳ぎ渡って島に上陸してから1ヶ月が過ぎる。あちこちに足跡や食痕を残し、センサー付きカメラにその姿を写されながらも、まだ島内に留まっている。
人間との距離に細心の注意を払うことが自己の生存条件だと、本能的に知っているからこの大きさになるまで生きてこられたのだろう。
悲しい運命にならないことを願いたい。